人間通信簿からつくるポートフォリオ

とりあえず衝動があるうちに形にしないとなーと思って1つ目の記事を書き、ここからが本番だから早いこと続きを書こうと思いはや一週間。

こういうのはテンポ感も大事だと思うので、今後は少し更新速度・濃度共に上げていけたらなーと。

前回の記事で

“名前出して顔出してつくるポートフォリオとは別に、逃げも隠れもしないけど特に明かしもしないというスタンスで、職業や性別に対する先入観、プロアマの定義を隔てたマウンティングなどを一切なくした自由な場所で、自分が面白いと思う事を一緒に面白がってくれる人との輪を広げていきたい”

と書いたんですがそれが一体どういうことなのか、今回はより具体的に文字にしていくために、セルフインタビューのテイで進めていきます。

(これを読んでくれている友人の皆さんは、タイトルにもあるようにこの記事をぜひ*凹の『人間通信簿』だと思って採点して、あとでこっそり成績もとい感想を教えてください)

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とはいえ、経歴に頼らずともバイオグラフィーをば

もともと母の影響で『どれみふぁそーらふぁみっ!れっ!どーっ!』というかのヘンゼルとグレーテルのオペレッタの中の曲の一節でおなじみの某音楽教室に小さい頃から通っていて、そのおかげで

“なんとなく”絶対音感がつき

“なんとなく”五度圏とやらを理解し

(ざっくりいうと中学の美術でやった十二色相環と家系図を足して2で割ったようなものですね。調性の相関図を説明するやつ)

“なんとなく”コードを理解し…

…というように、すべてが“なんとなく”できてしまっていることが良くも悪くも多く、気づけば大学入学の直前までずーっと通っていましたね。

ただ、9歳で出会った第一の心の恩師となるピアノの先生は組織内の立ち回り方などの政治に一切興味がなく、あまりどっぷりと教室の色に染まっていない人だったので私にとっては一番良い形でピアノに触れることができたし、変な弾きグセがついていたりもして決してうまい方ではなかったけれど、本当に音楽が好きかどうかで判断して育ててくれる先生だったおかげで、うまいヘタに囚われすぎず、今ものびのびと活動を続けられているのだと思います。猫好きで、世俗離れしていて、傾いていて、ローランサンとシャガールの画風を足して2で割ったような淡い色彩を放っていて(ここら辺はおそらく私の共感覚的な感性も含まれますが)存在自体が音楽みたいな人だなーと幼心に強烈に焼き付いたのを今でも鮮明に覚えています。

その恩師の“作曲の人のピアノがすごく素敵でね”ということばが強く自分の中で響いて、そこから作曲も志すようになり、某教室のカリキュラム上少しかじっていたこともあって自然な流れで先生を紹介してもらい、受験期は月2回ほど自宅から片道3時間半ぐらいかけて通っていました。あと、この受験期は人よりちょっとだけ長く続きました(訳:一浪した)。

普通高に通いながらピアノのコンクールなんかも受けたり、部活でヴァイオリン始めてみたり。指導者のいない弱小部活で下手の横好きでしたが、見よう見まねでとにかくやるという姿勢は楽に教わるよりも時間は掛かるけど“まねぶ”本質に変わりなく、大切な時間を過ごせた場所だと思っているし、ヴァイオリンを始めたことで

音程は自分の耳が作るもの

ファのシャープとソのフラットは違う

同じファのシャープでも意味が違えば取り方も違う

というような、理屈では言われていたけど“あっそ、ふーん”で耳を素通りしていたような頭でっかちな知識が自分の財産になったことはとてもラッキーな経験だったと思います。

頭でっかち、と書きましたが、幼少期~大学を卒業する手前ぐらいまでかなりその傾向が強く、いろんな師匠からの愛情という名の思惑は相当頭を悩ませるもので、流されてみたことで得られた経験(拙作をオケに弾いてもらったりとか)もありましたが、自分を育ててくれた師匠はもとより、自分自身が納得していなかった。先鋭的で時代の潮流に乗ったものに手を出せば世の中に出るのは早まるかもしれないけど、それよりも長い目で見た時に大切な自分の本質の部分で勝負しよう、とやり直すために再び師匠のもとへ出戻り、今度は主に室内楽伴奏という分野で演奏に関することを軸に深くその精神性に触れていきました。

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その一方で、師匠の息の掛からないところで入学時からずっと独学で歌の人について回って伴奏をしていました。

もともと自分自身も歌うことが好きで、高校時代は学年規模の大合唱のソリストに立候補したり、ゴスペルを経験したり、当時ヒットしていたマライア・キャリーのWe belong togetherの早口のところを、どう発音したら歌えるのかを研究しながら歌ってみるも終盤のホイッスルボイスとロングトーンで死んだり、そんなことばっかりやっていたので、歌の世界に足を踏み入れることは私にとってとても自然な流れでした。

歌の人のレッスンに同伴して得られる知識のひとつひとつが新しくキラキラして見えて、家に帰ってこっそり歌の人が言われていたことを自分でも実践してみたり、どんなことを歌っているのか、オケが何を弾いているのか、夢中になって調べていました。他の楽器と違って、時代の古い新しいに関係なく基本的にはどの作曲家も基本的に歌の作品を書いているので、ピアノだけ弾いていたら触れられなかった作曲家(ロッシーニとか)の魅力に触れられたのも当時の自分にはとても刺激的なことでした(室内楽を学んだ際にも、作曲家の創作的なアイデアの旨味を感じられる音楽としてこれほど面白いものはないなと感じていました)。

のちに師事する歌手と対話するピアノ弾きとしてスペシャリストな2人の師匠がどちらもまるで“ひとりオーケストラ”と呼ぶに相応しいほど、様々な楽器の音色を意識した音づくりに心血を注いでいる第一人者ということで、その影響も大いに受けた結果 現在歌手(独唱から合唱まで多岐に渡りますが、敢えて“歌手”と一括りにさせてください)の方たちと共演する駆け出しのピアノ弾きとして活動しています。

図鑑感覚でスキルや特徴を表してみる

【演奏できる】①ピアノ②歌③ばよりん④びよら⑤ウクレレ、カリンバ

(補足:①只今ペダル無しで2周目の平均律に取組中。②調子が良ければ上はhigh E、悪ければ下は(逆に)中央ハ音のオクターブ下のCまで、通常時はこの曲の初っぱなの音と同じEからhigh Cまではだいたい出るし、Aあたりで声が掠れたらその日はもう負けだと思って寝ます。E stranoを風呂場で歌いがち。③部活程度だけど一番弾けた時はこっちじゃない方とか威風堂々とかオー人事 オー人事とかHallelujahとか弾いてました。マイ楽器所有。④たまに持ち替えると楽しい⑤趣味程度)

【読める】日本語、英語、イタリア語、フランス語、ロシア語(キリル文字)、ドイツ語、楽譜、空気

【好きな楽器】ヴィオラやクラリネット、ホルンなどの中音域のもの(こういうパートにオイシイ仕事させてる作曲家大好き。*凹がピアノで出したいけど出すのが難しい憧れの音)

【得意】重音の同音連打、点描的な速いパッセージ、巻き舌、ものまね、欽ちゃん走り

【現状使えるスキル】ピアノを弾く、作曲、編曲、弾き歌い、和声など作曲的な分析に基づいた歌唱コーチング(駆け出しですが、一部ディクション指導的な事も可能)

【備考】楽器と自分のキャパの限界を知るべく響き渡るフォルテを出せる研究はとても大事だけど、心奪われてきたのは5階席にいても自分に語りかけてくれているかのようなピアニッシモが出せる演奏家で、自分もそこを目指したいと思っている。器用なようで不器用なピアノという楽器において、音と音の幅を敏感に察知し、演奏することを心がけている。日和見的でなく、お互いの音楽性を尊重した自発的で有機的なコミュニケーションをアンサンブルにおいて大切にすることがモットー

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どんなことが足りていないと感じ、実践しているか

いろいろあるし、演奏や作曲などの技術向上はいつだって最上位にくる課題であるべきだけど、それらを抜きにして今一番痛感しているのは語学です。

高校まで必修だった英語はもちろん、歌に関わる立場柄イタリア語・フランス語・ロシア語・ドイツ語に触れるも手広くなんでもやらせてもらえる環境にかまけてどれも専門的に掘り下げられていないなと痛感していて、参加している とある勉強会の昨年度の通年課題として(ロシア語を除き日本語を含む)5カ国語のスペシャリストを招いてそれぞれの言語の発音や詩の内容理解について取り組んだことがきっかけとなり、より深く勉強し始めました。

ゆるっと開催してくれていた仲間との勉強会には現在は参加できていませんが、Mondlyというアプリを使って各国語を比較しながら語源の繋がりを感じて学習したり、京町セイカのイタリア語攻略ちゃんねるを観たりしながら独学でイタリア語を中心に勉強しています。今はなかなか難しいですが、情勢が落ち着いたらイタリア人の先生のところにもまた行きたいですね。ひとまず、秋~冬にかけて開催されるイタリア語検定3級合格を目標に勉強しています!

あとは…このご時世なのもあいまって、現状ピアノ弾きとしては練習に立ち合う仕事が中心となっているんですが、もっと人前で演奏する機会を能動的に得て行かないとと思っています。素晴らしい演奏家はたくさんいるし、誰かがを選ばれこちらが選ばない理由があるならそれは仕方のないことで、選ばれるために鍛錬を重ねるしかないのだけど、もしかしてこれはもっと自分は人前で弾く活動をしていきたいとアピールしないと周りにそう思われてないんじゃないか?と思ったので声に出す必要があるなと。

(勉強を続けるスタンスを取りながら仕事にするっておこがましさの葛藤がつきまとうよねーと思いつつ、やりたいという時点でもう厚かましいんだから気にするなと自分に言い聞かせつつ。。。ご依頼お待ちしております!)

普段は歌い手の方に声をかけてもらうことで仕事が成り立つ立場だけど、時がきたら自分主催でなにかコンセプトを決めて演奏会を企画してみたいなとも思っています。もし今、私が能動的に演奏会に関わっていくとしたら、どんなことをする人として求められるのだろう?読んでくれている親愛なるご友人の皆さん、なにかアイデアがあったら*凹までお願いします!!

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ライフワークとして取り組んでいきたいテーマ

ことばが音楽に与える影響について昔からずっと関心があります。言語のもつリズムによってその国特有の音楽が生まれたり、言語によるものの考え方や価値観の違いがことばのニュアンスに反映されていることが音楽にもすごく影響を与えていることについて昔から興味があって。

曲を作ることなのか、音を出す側なのか、はたまたそれ以外なのか、今の時点では関わっていきたいと思うスタンスははっきりとは定まっていないんですが、そこは今は敢えて決めずにいようかなと思っています。

それから(これには自分の表向きのポートフォリオがもっと充実するような努力と実績が必要ですが)まだまだ低い扱いを受けることの多い歌い手の方と共に仕事をするピアノ弾きの立場が上がっていくためにどうしたらいいかを考えていきたいし、ご一緒する方の名前に依存しない独立した技術やアイデアの提供ができるスタイルをつくっていけるようになりたいですね。

あと、イタリアで出会った歌手をコーチングするスペシャリストと、自分の音楽のコアの部分を作り上げてくれた師匠の目指す本質がそんなに遠くないと知り、上で書いた自分がやりたい音楽とことばについての分野とも深く密接に関係しているので、両者を狭間で見る者としてなにか少しでも受け継ぐことができたらなぁと、僭越ながら考えています。ざっくりいうと、奏者は作る能力にも長けていて、作り手もまた奏でる能力に長けていた時代の、どちらも分かるからこそタッグを組めばより良いものが生まれるという発想。『声』というものに対しプロジェクトに関わる全員が向かっていく姿勢。

そういった時代への憧れを、人を巻き込んで現代に見合った形にしていけたらなぁと思っています。



…とまだまだ書きたいことは沢山あるのですが、1記事が長くなりすぎてしまうので今回はこの辺りで。

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