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*凹的ソルフェージュ考②それしか手段がなかったから〜心解き放ち、楽しんだ事こそ身になるという話〜

昔、街中で流れてるBGMを耳にして
“あ、この曲いいな”と思ったら
人の少ないエリアにある
スピーカーの下に移動して
耳をそばだてて集中して聴き、
記憶して帰ったら
予め巷で見聞きして
覚えた歌手や曲名から
どの曲だったのか推測を立てて
母親が毎月買ってた月刊誌の
楽譜のアーカイブを中心に
照らし合わせて
記憶に留めている音源を
脳内再生しながら
誤差を訂正する【*1】…

という涙ぐましい努力で
歌番組を観ない家庭環境
というハンデを
乗り越えていた*凹。
ふとこれ、
メモリー聴音【*2】じゃない?
と思ったんですよね。

今思えば
某マウントリーフ教室の
グループレッスン内で
与えられる課題や
大学に入ってからの
ソルフェージュの授業以上に
必死だったかも。
貴重なタイミングを逃すわけには
いかなかったのでね。笑【*3】

聴音って別にそれ自体に
あまり意味はないというか
実際の音高や音の幅
ハーモニー
リズム
と内的にそれを捉えている
自分の感覚とを
一致させていくことに
本質があると思うんですよね。

文字を見たら
声に出して読み上げなくても
黙読でも意味が理解できて
内容に入り込むのと
似ている気がします。

幼少期の教育で
様々な訓練はもちろんしましたが
自分の性質もあってか
楽しんで夢中になって
遊んでるみたいだったことほど
頭で考えるよりも先に
身体が理解していって
自然体で出来るように
なっていきました。


苦労したことに関しては
人に教える時
明確に言語化されるので
助かってるけど
やっぱり身体に染み込むまでは
相当時間が掛かりました。
楽しさや夢中を
上回ることってないですね。

遊びのような導入のものが
いくつかあったのは
自分にとってはとっても
ラッキーだったと思います。


遊び、あるいは
元々期待してなかったこと。


普通校の
指導者もいないような弱小部活で
ばよりんやってみたのも
面白半分だったけど
自分の耳と指の感覚で
音程を取るというのが
ピアノにも
和声の勉強にも役立ったし
たまにみんなで縦に持って
チェロ弾きしたり
ピチカートとグリッサンドを多用して
横山ホットブラザーズの
ノコギリ芸ごっこをしたり笑


…そんな遊びのお陰か、
弦楽器の編曲をした際
“*凹さんのアレンジは重音に無理がない”
と言って頂けるようになり。。。

分厚〜い理論書で覚えることも
役には立ってるけど
愛着をもって取り組んだことには
勝てないなと。

最近、ウクレレとカリンバで遊んでて
その時の感覚を思い出し
懐かしくなりました。

思えば全部そうだなぁ…

歌も
(CDが入手できる時代になってから)
親のいない隙を狙って
インストを流しながらモノマネしたり
録音したものを聞き返して
言葉の入れ方立ち上がり方
音程のブレやすい箇所などを確認して

…これって今の仕事と
やってることほぼ同じなような。

遊びに力みが入らないまま
仕事にできないものか…


ある程度の所までは
幼少期〜大学までに受けた
コンクールの課題曲が
満遍なく色々な時代の
作曲家の作品だったり
作曲の勉強をするなかで
普通のピアノ弾きより
ちょっとだけ幅広い作曲家に
触れたりしてきたことで
その作曲家の手癖みたいなものが
分かったりして
譜読みは比較的早い方では
あったけれども

ある頃から
初見で弾く能力に
ピアノのスキルが伴わなくなり
優秀な門下生しかいない先生の所に
場違いで入ったら
案の定話にならないと
一蹴されたこともあったし

頭で譜面は理解しているのに
身体に入らなくて
練習するほど脳と身体が
繋がらない感覚に疲れ果てて
長時間練習できなくなって
しまうことがあり…


悩んでいた矢先、友人から
ボディマッピングというものの
存在を聞かされ
教わりに行くようになり。
また、ほぼ同時期に
同じように苦労し、
克服してきたという先生の元で
勉強するようにもなり。

初めから恵まれた手で
何も考えず動かせば弾ける、
そんなタイプではない人は
エリートと同じ先生の元で
学ぶ事だけが正解ではなく
きちんと身体の使い方を
教えてもらえる先生に出会い
そのがんじがらめになった
思考・身体・心を
解きほぐしてもらうことが
必要なんだと知りました。


思考が解放されれば
身体が解放され
身体が解放されれば
音をコントロールでき
音をコントロールできれば
心が解放される。

心が解放されると、
自然と耳が開いて
音が聞けるようになるんですよね。


耳が開いて初めて、
聴音などで鍛えた

“鳴らす前の音を想像し、創造する”

という力を発揮でき、
漂っている空気や共演者の発する音にも
同調していけるような気がします。



なんの苦労もなく
基礎的な能力を伸ばせた先生は大抵
“テクニックなんて
勝手についてくるものだよ”
と仰るけど、
その言葉を鵜呑みにして不幸になる前に
思い描く音楽があるのなら
自分に合った
アウトプットの方法が見つかるまで
諦める必要はない。

“屈強な肉体と精神を持った人が
残りやすい世界だけど、
だからといって
繊細さを持った人の音楽が
否定されてはならない”

イタリアで出会った師匠の金言で、
この言葉を支えに
音楽生活を続けられています。

自分向いてないんじゃないか…
と思い悩む人や
先の見えなさに
心が折れそうになっている人に
届きますように。

【*1】月刊誌に載っているような楽譜というのは購買層のレベルに合わせたものなのか歌のシラブル通りに忠実にリズムを記譜したものが少なく、その誤差と薄れつつある記憶の中の音とを擦り合わせるためには、何度かBGMでその曲が偶然街中でかかる場面に遭遇する必要がありました笑 しかもそれが一曲だけの話ではないので、あれは大変でしたね〜。
【*2】メモリー聴音とは、ソルフェージュ教育の中で行われる訓練のひとつ。8~16小節程度の課題となるメロディーを通常の聴音とは違い、細切れに書き取りさせる機会を与えず、何度か繰り返し聴いて記憶したメロディーを一気に書いていくというものである。(ちなみに通常の聴音は一般的には全奏→インターバル約20秒※この間に書き取る→前半部分演奏→インターバル約20秒→前半部分→インターバル→全奏→後半部分→インターバル→後半部分→インターバル→全奏 という形で行われ、演奏中およびインターバルの時間に書き取り、聞き取りきれなかった箇所を埋めていき、最後の全奏までの間に完成を目指すというもの。
【※3】今じゃYoutubeや検索サイト、SNSなどをちょっと検索すれば何でも調べられる時代になりましたけど、なかなか答えが見つからないぶん必死になって探した経験は宝物だなぁと思います。

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