あなたを愛し、わたしを愛することが両立しなかった
かつて元夫と暮らしていたとき、というか私が気付かなかっただけで付き合い始めたときから、元夫は「やめて」が通じない人だった。
「こっちのほうがいいと思うよ」とか「心配だから」とか「それでいいの?」といった真綿で首を絞めるような否定から始まって、「良かれと思って」とか「遠慮するな」とかに達し、気がつけば「反対ばかりして!」とかよくわからない主張をして私の意見をつっぱね、そのうえから踏みつけ、私が私の意思を持って意見する、それが元夫と一致しないということに激昂し、私が自由に意見することを禁じた。
おかげで、私は私という意思を失った。
もともと私は自分の意見を相手に伝えることが苦手だ。特に相手から気持ちや物や予定や好意などを向けられたとき、それに対して「やめて」というのが苦手。
言えたとしても罪悪感でいっぱいになったり、相手に引け目を感じてしまってやたら下手に出るようになったりする。
だから痴漢にあうことも多かったし(あの手の搾取者って人をよく見てる)、モラハラ気質の相手と付き合うことも多かった。
そこへ、モラハラというか心理的DVと経済的DV とか、手をあげること以外やりまくる元夫との生活と、そこから脱しようしても弁護士も首を傾げてぶち切れるような仕打ちとで、私はすっかり、誰か、とくに男性に対して自分の意見を主張できなくなった。
そこから少しずつ少しずつ回復して、ようやく自分の「やめて」が言えるようになった時、よりにもよって私の回復を導き見守り練習台になってくれていた相手に「やめて」を無視されるようになった。
………とてつもなく大きな落とし穴だった。
でも、私は「やめて」を守ってくれない相手との付き合いを優先してしまう過ちを繰り返したくはなかった。
私は私をしあわせにすると誓ったし、大切にして慈しんで愛すると誓ったから。
その人が好きだからすべてを許すのではなくて、許せないことをする人は好きでも離れる、という決断にした。
絶望というか虚無というか、もう一回結婚して離婚したくらいの疲労なんだけど、それくらいの経験ができたのは、それなりに学びだし、この経験があれば私は二度と間違えたりしないように思える。
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