出逢い 2

 微細な点を何百万と打つことで一つの世界を築き上げていることを聞き,その1枚を小冊子で見ました。微細な点を集めて濃く見せている部分,微細な点をまばらにして薄く見せる部分,そのグラデーション。その小冊子の一枚の絵だけでも,気の遠くなるような点と時間と信念の集積が見て取れるものでした。彼は,はがきサイズほどの小冊子の絵の十数倍の紙に,ひたすらに,かつ,思考を巡らせながら点を打ち続けているのです。微細な点を集積し,一つの人格と世界を作り上げていくその所業は,単に途方もない作業を思い起こさせるだけではなく,”狂気”を感じさせるものでした。

しかし,僕の目の前にいる彼の外貌は”狂気”とはかけ離れた穏やかな男性でした。ただ,1時間程度彼と話していると,その1時間の中で見せる憂いのある表情,目の奥の光,人を見る眼差し,彼の声や抑揚の中にほのかに滲む堅い芯のようなもの,これらの集合の中に,微細な点の集積によって一つの世界を築き上げる彼の狂気が滲んでいたようにも思えます。

彼の目には世界が微細な微細な点の集積に見えるそうです。光も影も影のグラデーションさえも微細な点の集積に見えるそうです。もちろん,僕の目には世界が点の集積に見えたことなどありません。僕にとっては異質なものの見え方です。異質だけれども不思議と僕の中に拒絶反応は起きませんでした。むしろ,だからこそ,これまでの彼が何を感じ,何を思い,何を考え,どんな感情の揺れがあったのか,どんな高みと深みを味わってきたのか,彼の表現物である絵というよりも,彼自身に興味や疑問が湧いてきました。

僕は,彼の人生に興味を持ち始めていましたが,飛行機のチェックインの順番がやってきました。僕と彼は初対面でもあるわけですから,その時間内で立ち入ったことを聞くわけにもいかず,しかし,彼と会うのは今日が最後になるかもしれないとの一抹の寂しさも抱えながら,僕は,小冊子に書いてある彼のメールアドレスを見つけ,「返事をもらえなくてもいいのでメールさせていただきます」と言って別れました。それを聴いた彼の反応は,どこかしら鈍く,手放しで受け入れてくれる感じもなく,しかし完全に拒否しているわけでもないという表情でした。

チェックインを終えた僕と彼のそれぞれの夫婦は,別々に行動し,搭乗口までの通路や待合室ですれ違い,軽く言葉を交わし,挨拶をするだけで,さっきの話の続きにはなりませんでした。正直,僕は話の続きを聞きたかったけれど,彼ら夫婦の時間を邪魔してはならないという気持ちと,彼ら夫婦の清々しさを感じ,飛行機の欠航がもたらした偶然の面白さに満足していました。

その日,飛行機は無事に日本に向けて飛び立ち,約10時間後,羽田に到着。羽田到着後の僕の記憶は朧げなのだけれど,彼ら夫婦とお別れの挨拶をしたような気がします。それが2017年の10月のことでした。そして,僕が彼にメールを送るのはそれから1ヵ月後のことです。

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