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連載青春小説『Buffering-errors in the youth』(5/7)


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第五章 夜

 しばらく雨が続いた。
 家を打つ雨粒の音が遠近感に欠けたデジタル音のように部屋に響く。外を確認するまでもなく雨だとわかると、毎朝ほっとしてしまった。カーテンを開けると外は牛乳を飲んだ後のグラスみたいに白く霞んでいた。
 この雨は今のぼくにとって幸いだった。模試の結果は散々だったし、ケンジ叔父さんの葬式以来胸に鈍い痛みが間欠的に襲ってくることもあって、部屋でふさぎ込むことが多かったからだ。受験生のぼくが部屋にこもることはなんらおかしなことではないから、別段誰にとやかく言われたわけではない。だけどなぜか、ぼくは部屋にいることに妙な後ろめたさを感じてしまうから、雨はいい口実に思えた。
 それにしてもこの後ろめたさは何なんだろうと考えてみると、小さい頃に似たようなことがあったなと思い出した。
 それは、男の子は外で遊ぶもの、って法律みたいに勝手に決まっちゃっていたことで、ぼくみたいに運動がさほど得意じゃなくて、外で遊ぶのが好きじゃない子どもにとっては、そんなふうに頭ごなしに決めつけられていることが嫌だった。家にいるだけで、ダメな子と認定されているようで。だからなんだ。雨が降ると外で遊ばなくていい、誰にも文句言われずに安心して家にいられるぞ、っていう思考回路が小さい頃に出来てしまったんだ、きっと。
 やる気が落ち勉強が遅々として進まないがゆえの後ろめたさに、関係のないはずの過去の後ろめたさまでがないまぜになった。ふさぎ込んでいくのが自分でもわかる。次第に模試の結果が散々だったことに落ち込むことさえできなくなっていた。勉強なんて、受験なんて、大学なんて、どうでもいいと思うようになってきていたからだ。
 処理しきれない複雑な感情が塊になって心の底に沈澱していく。一方で意識は妙な透明感があった。見るもの全てが虚無的な色合い一色に染まっていたからだ。
 ベッドに横たわり、幾晩もぼんやりと暗い天井を見つめていた。部屋に滞留している夜を、夜警のように見つめ呼吸する。そうすると、胸に風が吹き抜け、痛みが緩和した。苦しさや鬱屈としたものから解放されたような気分になれた。
 実は、この方法はぼくにとって馴染みのあるもので、中学生のときに発見した。
 蒸し暑い夏のある日。学習塾の帰りに、なんとなく普段の道が嫌になってわざと遠回りをした。夜の人通りのない静かな住宅街。気付いたら見知らぬところに迷い込んでいた。ふと見上げると澄んだ夜空があった。急に体のまわりの空気の密度が低くなり、圧迫感がなくなったような感じだった。夏の夜のうっとうしさが遠のいていく。その瞬間、ぼくは孤独ってものの実体をはじめて意識した。涙が出た。だけど不思議と悲しくなるようなものではなかった。むしろ胸がスーッとした。
 それからというもの、息苦しかったり、落ち込むような何かがあると、よく道草をしてはそれを試みた。風の吹き抜ける孤独、通気性のいい孤独、そういったものを発見したのだった。
 何度か繰り返しているうち、条件が整えば、夜の自分の部屋でも孤独による通気を感じることができるようになっていた。必要に迫られていたともいえる。それがなければ、ぼくは息苦しくてどうにかなっていただろう。
 ここで言う通気がどんな現象かというと、まず、鳩尾(みぞおち)のあたりを内側から鷲づかみされているかのように、肺や胃が収縮していくような感じになる。肺の中の空気や体温が失われていくようで苦しい。しかしその次には、痛む胸の左脇から、空っぽの胸の中にじわじわと何かが浸透してくる。温かくも冷たくもない、液体でも固体でも気体でもない得体の知れない何かで、それが空っぽの胸に充溢してくると、しかし、苦しさも痛みも徐々にひいていく。薄荷のようにスーッとする感じ。
 ぼくは秘かに、それに「孤独式通気法」というもっともらしい名前を付けていたんだけど、今思えばぼくにとってそれは、自分自身を最後の最後まで追いつめないようにするための、ガス抜きのような、ここぞというときの治療のようなものになっていたんだろう。
 そして今もぼくは、胸の鈍痛を癒すために毎晩のようにそれに救いを求めていた。
 幾晩かの後、あることに気が付いた。いつものように夜の重力に身を預けていると、薄暗い自室の天井が別のどこかへつながっている気がした。小学生のときの入院していた病室の天井、その夜だった。薄暗闇に病室の天井にあった格子柄が浮かんだ。ぼくの孤独の本当の由来にたどりついたような気がした。あの病室の夜が原点であり、そしてそれが消失点となって混迷した心に孤独の透視図法が見出された。悲しみが消えるわけではないけれど、奇妙な落ち着きを感じた。デカルトは天井の格子柄を見て座標を発明したらしいけれど、ぼくはいつの間にか孤独の透視図法を発明していたんだとちょっとばかり誇らしげに思ったほどだ。天井の格子柄が定置網のように、漂流している悲しみを捕獲していく。そしてそれらは心の底に沈殿していく。
 しかし同時に、この発明によって今まで気付かなかったこと、いや、気付いていないふりをしていたことに気付かされた。明らかにぼくは、夜に酔い、それに逃げこんでいたのだ。しかしそれがわかってもどうすればいいのかわからない地点にまで来ていた。孤独式通気法は麻薬のように鎮痛効果の一方で、副作用をもたらしていたんだ。
 夜を呼吸するうち、気力が減退し、神経が不調をきたす。夜に親しみをもち、生活は夜型になる。不眠が訪れ、まどろみの世界が待っている。生活の全てが水中にいるような感じ。ここが一つの分岐点だ。水面に上がるか、さらに沈むか。ここから水面まではわずかしかないけれど、一度降下し始めると悲しみの重力のせいで水面に上がるのは難しい。ではさらに沈むとどうなるか。透明な閉じた世界が迎えてくれる。外界の手触りが潮のようにひいていき、感覚的な圧迫感がなくなる。動作に水中にいるようなまどろっこしさはなくなるが、もとのようにスムーズになるわけではない。日常的な動作の一連の節々にすき間ができる。意識せずにできていた動作の滑らかな連関がほどけていく。歯磨き粉をつけた歯ブラシを手にした瞬間、便器を前にした瞬間、扉を開けて隣の空間が現れた瞬間……、突然エアーポケットが現れる。行為そのものを見失うわけではないが、いったい自分が何をしているのか、何をしようとしているかと戸惑う。便器を前にしてどういう姿勢が適切なのかとか、歯磨き粉がチューブからヌルリと出てくるのが不気味に思えたりする。だから、次の動作を始めるためには、ありもしない操作マニュアルを確認するかのように、自身の意志と状況を再確認する必要が生じてしまう。そうすると、たとえば歯を磨くという単純な日常的な行為でさえ、分厚いマニュアルがあるかのように思えてきて、複雑な多くの動作の組み合わせでできていることがわかる。だから、動作が困難になるわけではないが、動作中の体が頼りないつぎはぎだらけのスカスカしたものに思えてくる。
 透明な世界と言っても、あまりにも透明過ぎ、能動的に働きかけられるような掴みどころのないツルツルとした世界だ。
 しまいにある夜、家路の途中で不意にエアーポケットに陥った。家の近くの細い三叉路で立ちすくんでしまったのだ。左の道が家路なのに、曲がる瞬間になってそれが急に不自然に感じた。右の道でも、今来た道でもなく、なぜ左の道なのか? 家に帰るのだからとわかってはいても、三つの道のうちでこの道でなければならないということが腑に落ちない。しばらくその角で気が抜けたようになった。

 なんとか気を持ち直し、夜の闇から我が家の玄関の灯りまでたどりついた。玄関の脇に夜の暗さより一層暗い部分がある。何かと目を奪われる。それは突然すばやく動いた。驚いたぼくはその場で昏倒してしまったらしい。 
 目が覚めると自分のベッドで横になっていた。後頭部が痛い。触ってみようと首を上げると、首の筋肉が凝り固まっているのがわかった。後頭部にはこぶ。玄関の前で倒れたんだ。倒れる瞬間のイメージがぼんやりと浮かんできてた。あの暗い塊は、黒猫だ。この辺をうろちょろしている、お隣さんの黒猫。ぼくは自嘲の笑みを浮かべた。
 上体を起こし、ベッドに腰かけようとした。体が重い。寝過ぎたときになる不快な症状だ。カーテンの隙間が明るい。かなり長い時間寝ていたらしい。でもこの体の重量感が、なぜだか心地よく感じた。それがなんだか可笑しくって、また薄笑いをした。久々に自分の体を取り戻したようだった。
 ベッドに腰かけていると、また胸の左脇が痛んだ。しばらくその部位をおさえて体を丸めた。なぜだかいつもの通気法をやろうとは思わなかった。胸の中で何かがゆっくりと対流し始めていた。しばらくすると自己否定的な感情が湧いてきた。自分から進んで落ち込もうとしているみたいに。いやたぶんそうだ。胸の中の対流は、悲しみを求めている。
 そのときになってやっとぼくは気付くことになった。夜という名の、空虚な闇を胸のうちに住まわせてしまったのだと。
 ぼくは軽率だった。
 手もとにはヌードペンがあった。ぼくは何がどう可笑しいのかわからないのに、笑いが込み上げてきて仕方なかった。痛みと笑いを同時に抱え込み、どうすればいいのかわからなくなったんだけど、痛いのに笑っている自分が余計に可笑しかった。痛いからなのか可笑しいからなのかどっちともつかずに、体を丸め震わした。そんなぼくの姿を、掌の中でもったいつけるように服を脱いでいく金髪美女がすまし顔で見ていた。ぼくは人生で一番の苦々しい微笑みを返してやった。

 ケンジ叔父さん、夜の感触ってどんなものか知ってる? 夜にもちゃんと生々しい感触があるんだ。手触りのある、体で感じられる実体的なもの。それはぼくの胸の中の隅に住みついていて、このヌードペンのように露骨で卑猥で身も蓋もないやり方で、ときどきスーッと胸全体に這い出てくる。あっという間に進行していくから、その感触は気を配らないとわからない。


第六章に続く


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