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ネガティブの強さに負けないように

昨日のアカデミー賞で日本映画が受賞したという大変おめでたいニュースよりも注目の的になってしまったのが、言わずと知れたウィル スミスとクリス ロックの事件。
せっかく2年振りの会場で授賞式が再開したにも関わらずこんなことになってしまうとはとても悲しいことだと思いました。


この事件から私がいくつか思ったことを今日は書こうと思います。

速報でこの事件について知った時私と一緒にいた主人は全く違う反応でした。

主人は意見は以下の通り。

「これは演技だよ。視聴率や話題の為に仕掛けられたこと。」

確かにその可能性もあるしれない。

しかし私はそれ以前に何故アカデミー運営側がこの事件を阻止できなかったのかという疑問。

クリス ロックが司会をするにあたって、ある程度のシナリオは描かれているものだし、どのセレブレティに的が当てられるのかくらいは予定に入っていたはずです。今年ノミネートされているウィル スミスは前列にいる上、事件のジョークの原因になった奥様であるジェイダのヘアスタイルが作品への役作りではなく病気が原因であることくらい情報として伝わっていなかったのか、ということ。

そして不自然だったのがなぜセキュリティが誰も止めに走らなかったのか。そう考えると主人の言うことが真実なのかもしれないとも思えてきました。

しかし、仮にこの事件が演技でなかった場合、ジェイダの病気の真実も知らずジョークを言ったクリス ロックが悪いのでしょうか?
それとも怒りをコントロールできず手を挙げたウィル スミスがわるいのでしょうか?私は人の喧嘩などは大抵両者に原因があると疑ってならないのですが、この事件の場合 確実にウィルスミスが悪いと思いました。
それは

「いかなる場合も暴力は解決の手段であってはいけないからです。」

愛する妻をジョークのネタにされ、怒ってもです。彼がとるべきだった正しい行動は、その時点で傷つけられた妻を可能な限りささえ、授賞式が終わってからクリス ロックとアカデミーにとても不快だったと伝えるべきだったと思います。せめて手を挙げるのではなくあの場で「妻の苦しみも知らずにジョークにするのはやめてほしい。」と叫ぶことが許されたかも知れないとも考えましたが、それも場を崩してしまうので、真っ当なな大人のとる行動ではなかったでしょう。

加えて、彼は暴力をふるったにもかかわらずその直後に賞を受賞します。そもそもが手を挙げた時点で退場になっていないのが不思議です。アカデミー協会は暴力を許すのでしょうか。全く納得がいきません。またはもしウィルが怒ったのも仕方がないというのであれば、クリスをその時点で司会から外すべきでした。会場は俳優で埋め尽くされています。式自体は前代未聞とはいえ何かしらの形で進めることが出来たはずです。

実際当事者の立場になってみないと分からないというのも良く分かります。私も怒り狂って怒鳴り散らした経験もありますし、私の主人は以前私や従業員にものすごく失礼な態度を取るお客様に出ていけと追い出したこともありました。(そうです。主人は実際この事件のようなことがあればウィル スミスと同じ行動に出ていたでしょう。)

人間には感情があります。悲しみや怒りは理性を失わせるネガティブな要素で、残念ながらとても強いエネルギーを持っています。なので理性が負けてしまうのです。でもそれが許されるわけではありません。私たちはこのような事件をただゴシップとしてとらえるのではなく、ここから学びいざ自分が極度の悲しみや怒りに直面した時にも理性を失わずにいられるように心を強く持っていなくてはいけません。

そしてその人の本来の姿は非日常の場面でこそ見えてくるものです。最近人生の教訓などをまとめた本などを出版し人間力を高めたようだったウィル スミスですが、まだまだ冷静に自分をコントロール出来てはいないことが表に出てしまいましたね。
元々ジョークを言うのが仕事であるクリス ロックもアカデミー賞のようなフォーマルな式典の司会ができるほど教養や配慮がなかったのかもしれません。これはクリス ロック自身だけでなくアカデミーの司会者の選出にも責任が多くあると思います。

ネガティブなパワーが強いというもう一つの例がこの度ウィル スミスは見事受賞したにも関わらず彼は受賞したことよりも、今後「アカデミー賞で人を司会者をひっぱたいた。」というイメージが一生残ってしまうのです。これは何とも残念なことですし、自分が蒔いた種です。誰を責めることもできません。笑えないジョークを言ったクリス ロックのせいではなく、理性を保てなかった自分のせいなのです。

そして気が付いたことがもう一つ。私はジェイダを観た時に何も依然と違うとは思わなかったのです。彼女は基本とてもベリーショートなので、坊主にしても違和感がさほどなかったのです。坊主にしても変わらぬ美しさを保つ彼女は本当に美しいのだな、と改めて思います。しかし、そうではなく彼女はこの度自分の意志で坊主になっているわけではありませんでした。一般公開していなかった病気を抱えていたのです。

人の容姿についてコメントをすることは本当に繊細なトピックであるということを改めて学ぶ機会となりました。
私の娘たちは髪の毛がとても明るいのですが、「金髪」とか「外人だね」などとコメントされるのがあまり好きではありません。それがたとえ褒め言葉であってもです。まだ個性としてポジティブに受け止める心が整っていないのか、そういわれるとクラスメイトと違う=仲間外れというネガティブな連想になってしまうのでしょう。

もちろん容姿についてコメントをもらい嬉しいこともあるかもしれません。「新しいヘアスタイルに合っていますね。」「お肌がきれいですね。」など。しかし、それでも相手との信頼関係があってタイミングを見計らいながらのコメントが賢明なようです。

そしてネガティブなパワーに押しつぶされないようにしたいのが、この度のアカデミー賞をこの事件でまとめ上げないことも重要です。映画や読書はリズムに乗ると次から次の作品と進む場合が多いですが、一度ストップすると全く観なくなったり読まなくなったりする場合が多いようです。久しぶりの邦画の受賞を私たちは祝福し、今年受賞した素晴らしい作品から感度や学びを受け取りましょう。

最後にもう一度、大切なことを。

「いかなる場合も暴力は解決の手段であってはいけません」

後日 ウィル スミスと クリス ロックがお互いのミステイクを許しあい和解出来たらいいなと思います。

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