最期を後悔しないように
2021年12月中旬。
旦那の最愛の母が亡くなりました。
これからという時に…
まだまだ話したいことがたくさんあったのに…
どうしてあの時あんな事言ってしまったんだろう…
後悔する旦那を見て
こんな姿はもう見たくない、
後悔してほしくないと思い書くことを決めました。
旦那は2人兄弟の次男に生まれました。
家族4人仲良く暮らしていました。
しかし、いつの日か歯車が狂い始め
父親の暴力、ギャンブル、酒癖‥‥
ついには借金。
そんな環境に限界を迎え離婚。
旦那はお兄さんと一緒にお母さんと暮らすようになりました。
中学生ぐらいからお兄さんと一緒にやんちゃ坊主を発揮し
高校ではかなりの悪さをしていたと聞いています。
高校退学になり、別の高校に入学して
なんとか高校を卒業しました。
高校卒業後、旦那は自衛隊に入隊しました。
そこで相当鍛えられたと思います。
今までやんちゃしていた男が
正された。正していただいた。
今でも旦那は、あの時はきつかったけど
楽しかったし先輩方を尊敬している。
と言っていました。
4年務めた自衛隊を辞め
民間企業へ就職しました。
そこで私たちは出会いました。
旦那は昔から温厚な性格とは言えず
周りからは怖がられるような存在でした。
しかし、私は理由もなく怒っている訳でない事を知っていて
仕事も出来て自分の趣味に没頭できる
常にスキルアップを意識して生活している
そんな彼に惹かれていたのかもしれません。
私たちが交際を始めたのは
出会ってから6年後の事です。
付き合っていく中で
旦那と家族の話になりました。
お兄さんとは一切連絡とっていない、嫌いだ。
何も言わず実家を出て勝手に一人暮らしをして
母からの連絡は無視している、会いたくない。
私はとてもじゃないけど信じられませんでした。
私の家族は父・母・私の3人家族で
とても仲が良かったので
家族が嫌い、会いたくないという感情を
抱いていることが信じられず
「早く仲直りしなよ」と何度も言ってしまい
不機嫌にさせた事、今でも覚えています。
知り合いに
「家族にしか分からない事がある、
色んな家族のカタチがある、
事情があるだろうから少しそっとしてあげたほうが
良いと思う」
とアドバイスをもらい、
しばらく何も言わない事にしました。
付き合っていくうちに、結婚を意識するようになり
私の両親に挨拶へ行きました。
父親は土方の人間で、THE昭和。
「娘をもらってくれることは嬉しい。
でもお母さんと仲直りだけしてくれ。
俺は、君の家族と家族になりたいんだ。
仲直りしない限り、結婚は認められない」
そうきたか‥‥と内心思いました。
母は
「本当は嬉しいんだよ。
でも、やっぱり結婚って家族と家族になるから
そこはお父さんの気持ち、わかってあげてね」と
言っていました。
旦那も分かっていました。
母親と仲直りしなければならない…
でも、まだ許したくない‥‥
そもそも旦那が勝手に家を出た理由が
これもまた複雑で
簡単に言うと、
実家にお兄さんを入れるな。と言ったのに
お母さんが勝手に家に入れた。
という事。
部外者の私からすると
親子なんだから実家に入れて何の問題があるのか‥‥
と思ってしまいますが、
そこが家族にしか分からない所なんですね。
私にとっては、しょうもない事って思っても
旦那にとっては、許せない事。なんです。
でも、これが旦那は後々後悔するのです。
なかなか結婚の話が進まない中、
お母さんから旦那に1通のLINEが届きました。
その内容は、お義母さんのお姉さんが亡くなったという連絡でした。
旦那は、母親が心配だと言い
1年ぶりぐらいにお母さんと連絡を取りました。
後から聞いた話だと、お義母さんも相当悩んでいて
どうしたら仲直りできるだろうかとお姉さんに相談していたみたいです。
これが母親と連絡を取るきっかけになった事、
私はお母さんのお姉さんが二人を会わせてくれたんだと
思っています。
私の両親から仲直りするよう言われてから
数か月後、旦那はやっとお母さんと仲直りすることが出来ました。
お母さん、久しぶりに会えてとても嬉しそうでした。
今まで会えなかった分の時間を埋めようと
お酒を飲みながら沢山いろんな話をしました。
昔、こうだったんだよ~
お兄ちゃん結婚して子供いるんだよ~
最近こうなんだよ~
旦那も嬉しそうでした。
私もお義母さんに会えてよかった。と心の底から思いました。
でも、まさかこんな事になるなんて‥‥
12月中旬。
その日は、寒暖差が激しく
かなり冷え込んだ日でした。
私は仕事に向かい
旦那は車の雪下ろしをしていました。
8時過ぎだったと思います。
旦那から連絡が来て
「お母さん死んじゃったから午後から行ってくるね」
私はこの文章だけ見て
どんな冗談?
だって、先週年末年始行くからね~って電話したじゃん…
と思い、「うそでしょ?」と返信しました。
しばらく返信がなかったので電話してみると
旦那の声が震えていました。
ああ…本当なんだ…と、その時察しました。
すぐ上司に伝え、家に帰りました。
家に帰ると旦那はパニック状態で憔悴しきっていました。
どうしたらいい?どうしたらいい?
まず、誰に連絡して‥‥
私が焦ったらだめだ。と思い
「必要最低限の物だけ持って、実家へ行こう」
そういい、車で2時間かけて実家へ向かいました。
実家につくと、一緒に住んでいるおじいちゃん
お母さんの姿はありませんでした。
おじいちゃんから詳細を聞いて
警察署に電話をしました。
お母さんは、通勤途中で倒れて
新聞配達員が見つけた時には
もう息を引き取っていた。
事件性があるかどうか調べるため
すぐには会えません。
と言われました。
それからお母さんに会えたのは2日後。
警察署の霊安室でした。
私は体が震えていまい入れるか不安でしたが
お母さんにやっと会えました。
冷たい部屋に冷たい机に裸で横たわっている
お義母さんの姿を見て涙が止まりませんでした。
血液検査等調べることが多く
お義母さんが帰ってきたのは、それから5日後でした。
葬儀屋さんに移送して
安置所で寝ているお母さんは
少し笑っているように見えました。
私たちも、
お帰り。やっと暖かい所で寝れるね。
と安心しました。
旦那は気持ちも落ち着かないまま
喪主として役目を果たしました。
私の両親もかけつけ
「つらいのによく頑張ったね」と声をかけると
安心したのか涙を流していました。
お母さんの亡くなった原因が
急性循環器系疾患
突然死
でした。
前の日にかなり具合が悪かったようで
友達から心配されていました。
お母さんの携帯の電源を入れると
職場、友人の方から心配の電話メールLINE沢山入っていました。
亡くなる1か月前に受けた健康診断で
心臓が引っかかって再検査を勧められていたそうです。
どうして相談してくれなかったんだろう‥‥
きちんと再検査受けていたら死ななかったかもしれない‥‥
前の日に病院に行かせてたらこんな事にはなっていないかもしれない…
葬儀場でお母さんの友人・職場の方から
いろんな話を聞いて、ますます後悔は大きくなりました。
どうして早く仲直り出来なかったんだろう…
もっと話を聞いてあげればよかった…
もっと会いに行けばよかった…
どうしてあの時、あんなひどいこと言ってしまったんだろう…
旦那は、母親を失ってから
大事さ、大切さ、
そして、大好きだったんだ。という事に気づきました。
お母さんを追いかけて死のうと思った事もあります。
旦那は今、
楽しかったお母さんとの思い出よりも
こうすればよかった。という後悔に苦しんでいます。
今までなんも思わなかった事にいら立ちを感じ、
自分の感情をコントロールできず
物に当たるようになり
そんな旦那と一緒にいることに疲れを感じることもあります。
大好きだった母親を亡くし
旦那は辛い思いと、辛く他の人に当たってしまう自分に対しての罪悪感、
寂しい思いがかき回され辛い日々を送っています。
私も限界ギリギリで一緒に過ごしています。
新婚生活も全く楽しめていない毎日です。
旦那の家族のように色んな問題を抱えている家族があったり
もう修復できない家族があったり
色んな家族のカタチがあると思います。
でも
たとえ、どんなに両親が憎く嫌いであったとしても
戸籍上であろうと血が繋がっている家族です。
亡くなった後後悔しないように
久しぶりに実家に帰ってみたり
連絡を取ってみたりして欲しいです。
後悔しないように。
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