身近な人の「ことば」は周りを変える話

今日、出発式でした。

卒業式ではありません。

「出発式」なんです。

ここまで険しい道のりでした。

まずは中高生との関わりの築き。

築こうと思って戦力的に行うものじゃない。
目の前の中高生に触れて、想いを共有しあって、
それで築き上げていく。

それは建造物ではなく、輪郭の鮮やかな架け橋。

柔らかい音に似た、奇跡のような「かたち」。

これは目にも見えないし、きっと触れもしないけど
一生続く線なんだなって、思える。

これを築くのには1ヶ月に1回の現地入りと
日々の中高生との連絡になってくる。

びっくりする。

「かたち」になった時は。

そしてもう一つはコロナウイルス。

距離の壁を生んだ、、、、

それを最も自覚させたのがこのウイルスの存在。

最初は悲しみよりも怒りだった。

え?

3月という羽ばたきの時期にいけないの?

目の前に控えたものが消えていく。

もしかしたら諦めになるかもしれない。

そうなるのかもしれなかった。

しかしそれを繋いだのは「架け橋」だった。

距離はなくてもきっかけさえあれば
急速に関係性を蘇らせる、架け橋だった。

その可能態は、可能態のまま消える・・・?

それが危惧された、出発式だった。

でも!

でもだよ。

送り出したいじゃん。その子にもう会えないかもしれないんだよ。
いいのか、ほんとにその偶然に阻まれてしまって・・・

それで、可能性を啄まれてしまってホントにいいのか!って。

食われるわけにはいかない。

築き上げられた温かいものを別の色になんて染まらせない。
染まってなんて、あげない。

オンラインでも、できるんだ。

・・・・・・

そしてオンラインに向かうわけで。

オンラインでやる出発式なんて、通常ない。

感動を生むのはその場の臨場感が
どうしても必要になってくる。

それなのに本当にできるのか?

やらなきゃいけない。

やれる可能性ではなく、その可能態を現実にしていくだけ。

だれもやったことがないなら
やってみればいいじゃない。

手札は揃っている。

揃っていないなんてだれもわからない。

だから、つなぎ合わせれば、
それが最高の形になるんじゃないかな?

「最高の出発式」へ。
「世界一エモい出発式」へ。

・・・・

そして今日。

オンラインで出発式を完遂。

バカ泣いた。

泣くつもりなんてなかった。
むしろ去年は対面でやっても泣かなかったのに。

場は作れるんだ。

「誰かにこうしたい。」
「その世界観を広げたい。」

世界観という現実態に、可能性という色を染め上げていきたい。

無理という枠には可能もある。

可能に想いを乗っければ、それは動き出す。

テコでは動かないものでも
想いなら動かせる。

人の協力・つながり・想いは
なんでも動かせるんだってね。

だから僕も

無理なのではなく、可能性に目を向けて。

将来に向けてやっていく。

絶対やり遂げる。

オンラインで世界観をひっくり返す。

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