性善 vs 性悪 (~issue)

人間性(人間の本性)はかと姦(かしま)しいほどの知的好奇心が旺盛な人は昔に限らず現代にも大勢いらっしゃるようです。議論・口論を楽しむのが悪いとは言わないけれど、悪く楽しむのは如何なものか?そもそも性善・性悪ではどちらが善どちらが悪だろうか?そんなことで考えていきたい。

私たちにとって何より大事なこと(イシュー)は何だろうか?美味しいとこ取りを重視してる人は大勢いるようで、だけど確かに美味しいとこを手に入れたらウハウハになるかも知れない。それでかも知れないけど兄弟で奪い合いに精出してる家庭もあるからね。逞しく育てよお~ッてか、笑 ( `ー´)ノ

(ともあれ、個人的な感覚は此処では一旦置いておいて)ふるさと納税の件が思い浮んだので考えたい。国会にしろ、役人にしろ、地方自治体にしろ、これはどういう感覚が善いだろうか?だから役所の性格は性善が善いか?性悪が善いか?それとも役所に善いも悪いもないか?あなたはどう思うか?

今騒がれている泉佐野市で検索したら橋下徹氏が出てきた。それを引用したい。人にはそれぞれの持論があろうから事実を簡単に述べておくと、橋下徹氏の発言として東スポweb2019年8月5日の記事に「ルールは全て自治体任せにして景気向上税制として真正面から認めるべき」とあるようだ。

肝心の泉佐野市市長は政府に激しく反発。全市町村の平均は3億円弱、人口比なら同市は4億800万円。同市は「総務省の要請に従わず、地場産品でない返礼品やネット通販大手アマゾンのギフト券を贈るなどして多額の寄付を集め、平成30年度の寄付額は約497億円を見込む」とあって突出した金額だ。

ついでに‥松井一郎大阪府知事(2019年2月6日時点)の認識は泉佐野市の行為を合法と発言しておられる。(YAHOOニュース thePAGE)「国と対峙してでも泉佐野市民のために財源確保しよう」とある。私も違法ではあるまいと思っていたが、そのうえで役所・自治体としての感覚はどうあるべきなのか?

松井一郎氏の言を借りれば、泉佐野市民のために国庫の金を分捕ってきた。飢えている子供のために親が両手いっぱいの食品を持って帰ったとしたら‥その親の気持ちは分るが、早い者勝ちでその食料品を奪いあって善いものだろうか?独り占めして善いだろうか?もしか善意の食料品でなかったか?

一人でも多くの人たちと分かち合えない程に泉佐野市は悲惨な状況だったのか?全部独り占めしても違法でないのは事実だろうけど、善意を分かち合えない日本でホントに善いのだろうか?「ルールは全て自治体任せにして景気向上税制として真正面から認めるべき」という橋下氏の理想論も分る。

だけど、現実には己の市民だけが食えれば好いという市町村が増えるなら、それでは橋下徹氏の温かな想いから離れてしまうのでなかろうか?市町村などの自治体の魂は性善が善いか?性悪で善いのか?己の家族のために他人の子が飢えていても気にしない民衆が増えても一向に構わないだろうか?

それぞれの集団毎に固まれば他集団は食い物を奪い合う敵となるかも知れない。日本中の弱い民がなけなしのお金を出し合って助け合っているときに、手本を示すべき自治体(の長たち)が利己で動いて善いだろうか?維新の会に人々が期待するモノは奪いとる力(弱肉強食の覇者)ではないと思うが‥。

訳の分らない変な政党が現れている昨今、力ある政党には弱者の側に立って真剣に取組んでほしい。そんなことが私には思われるのです。(´・ω・`)

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