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【連載小説】第5話 普通の高校生は人形劇の夢を見る #創作大賞2024#ファンタジー小説部門



第5話  (約5800字)

「前島! いい加減にしろ!」

 頭の後ろの方と、鼻がものすごく痛い。顔を上げるとハゲタンのつり上がった目と、手に持った表紙の堅い名簿が見える。名簿で思いっきりあたしの頭を叩いて、それで机で鼻を打ったってわけか。さいわい鼻血は出てないけど、また5ミリくらい鼻がつぶれた気がする。

「何度呼ばせる気だ! 大体、どうして授業中にそんな体勢で熟睡出来るんだ!」

「才能ですかね」

 あたしは欠伸をかみ殺しながら答える。ハゲタンは血管が切れそうなほど顔を真っ赤にして名簿を振り回すが、あたしは華麗な身のこなしで避け切る。二、三度繰り返すとハゲタン、またの名をキレタンは諦めたらしくプリプリいいながら教卓へと戻っていく。最初に殴られた頭の後ろをなでながら、あたしはその様子を眺めていた。

「昨日夜更かししたの? あれだけ怒鳴られて起きないなんて、ちょっと怖いよ」

 そういうわりには笑いを押し殺したような声音で、未紀が横から話しかける。

「最近変な夢ばっか見るからさ。そのせいかなぁ」

 思い出すのも嫌で、あたしはぱらぱらとノートをめくり、お気に入りのシャーペンをくるくると回し始めた。

 そうして何言ってるんだかよくわからない退屈な授業を聞き流して、終礼が終わると同時にあたしはさっさと未紀と別れた。

 なんだか買い物に行く気分でもないし、まっすぐ家に帰りたい気分でもない。

 ふらふらと自転車をこいでいたら、あたしは真っ直ぐに続く長い石段の前にいた。未紀のじーさんが管理している神社だ。自転車を邪魔にならないところに止めて、あたしは石段を登り始めた。

 下から見上げても本殿が見えないくらいに階段が続いていて、しかも金がないんだか知らないけど所々石が割れていて上りにくいことこの上ない。だけど若さをアピールするためにも、ここは休憩無しで上り切ってやる。

 あたしはどんなに足下がふらふらになっても絶対止まらないように一歩ずつ上って、一番上までたどり着くと鳥居にもたれかかって座り込んだ。

 止まった途端に吹き出す汗を抑えるために、あたしは手で顔をあおいだり、スカートをパタパタさせる。木々の葉が擦れてさやさやと涼しげに鳴る、この音だけが唯一の救いって感じがする。深呼吸をして勝手に爆走してる心臓をなだめていると、その音に混じって人の声がかすかに聞こえた。

 立ち上がって鳥居をくぐり、声の聞こえる方向へと足を向ける。どうやら本殿の中じゃなくて、砂利の敷き詰めてある奥の広場の方らしい。広場の中央には、薪を組んで火が焚かれていて、その周囲をカミナリ型に折られた白い紙がいくつも連なっていた。焚き火の前では、いつもは真っ昼間でも酔っぱらってるじーさんがまともな顔をして朗々と何かを唱えている。真面目に働いているところを見るとあの変態じーさんでもまともに見えてしまうのが不思議。

 やがてじーさんは唱え終わると、焚き火の中に何かをぽんぽんと投げ入れる。この位置からではよく見えないが、いろいろな大きさのものがあるらしい。

 じーさんはさっきまで表情を強張らせていたのに、今はいつもの間延びした顔に戻っている。もう仕事は終わったらしい。

 あたしが本殿の陰から歩いて近づくと、柔和な顔をこっちに向ける。

「おう、奈那じゃないか。久しいなぁ、ワシが恋しくなって会いに来たのか?」

「おひさ、モウロクじーさん。ボケて忘れられてたらグーパンしてやろうと思ってね。そんなことより、さっき何やってたの? 仕事してるなんて珍しいじゃん」

 あたしは焚き火の前に立ち止まり、じーさんが投げ入れていたものを目をこらして見る。黒く焦げていてはっきりとはわからない。

「ああ、これは供養だよ」

「供養? にしては扱いが雑じゃない?」

「こやつらは全部祓った後だから問題ない。人型をしとるものや大切にしとったものには霊が入ってしまうことがあるからな。いらないのなら焼いてしまった方がいい」

 じーさんは目を細めて音を立てて燃える火を見つめていた。いらなくなった人形を燃やすことをどう思ってるんだろう。ちょっと気になったけど、そんなことはまったく表情からは読めない。

「でもなんか勿体ない感じするね。普通の人形とかぬいぐるみなら痛んで捨てるかもしれないけど、ほらあれって雛人形じゃない? 雛人形なんて年にちょっとしか出さないのに」

「だからこそ、供養するんだよ。雛人形は特に子どもの成長を願って飾るものだ。願うだけ願っていざ無事成長したらそのまま捨て置かれては雛人形も浮かばれん。感謝を込めて供養する。今までどうもありがとうございました、ってな」

 じーさんは燃える人形を見つめながら、言葉を続ける。

「人間は勝手に気に入って使って、飽きたり汚れたりすれば別のものに目移りしてしまう。すぐに捨てずともしまい込んで忘れてしまって、愛着が薄れた頃に捨ててしまう。だから、愛着があるうちにこうして供養してやるんだよ」

 そういえばあたしの雛人形を最近見てない。あんたのなんだから自分で飾りなさい、と言われるようになってから箱を開けてもない。

「人形への感謝を伝えるのも大切だが、あとやはりワシへの感謝も大切だぞ。神主サマ、素敵、大好き、結婚してくださいとかもいいな」

「じーさん、もっと自分の心を清めなよ」

「阿呆。ワシの心はこれ以上にないほどに澄んでおるわ。ワシほどピュアな心を持っているナイスガイは数えるほどしかおらんぞ」

「あそう、左様でございますか」

 あたしはじーさんと並んで軽口を叩きながら、人形が燃え尽きて焚き火が消えるまでずっとその火を眺めていた。



 前も後ろも真っ暗な廊下。もうこの状況にもいいかげん慣れてきた。

 あたしは腕を組んでしばらく廊下の先を見つめていたが、気を取り直してとりあえず適当に歩き回ることにする。

 あの犬だか何だかよくわからないオモチャは、廊下の角を曲がったところで見つかった。隣の棟へと通じているスロープの上をふわふわと歩いている。あたしは足を止めることなく、当然のようにその後ろを歩いていった。

 隣の棟へと移ると、操り人形はそのまま階段を下りていく。ただ身体の大きさと階段の幅が合ってないからか、一段一段飛び跳ねるみたいだ。そして階段を下りきるとそのまま廊下の突き当たりの扉の開いた部屋へと入っていく。

 あたしも迷わずその中へと入った。そうだ、ここは保健室だ。

 扉をくぐると壁に沿って長いテーブルが置いてあって、歩くスペースは少し狭くなる。奥へ行けば先生が座る机と椅子があって、その前にはぐるぐる回る椅子がある。そのまた奥には三つのベッドがクリーム色のカーテンで区切られて置かれている。

 あたしが保険室内をうろうろしていたら、今回は先生の机の上が明るくなり、中央にはリカちゃん人形がいた。保健室らしくナース姿だ。

 リカちゃんはあたしのいる側に向かって、腰を振りセクシーダンスを踊り出す。人形なのにくねくねと体が曲がって、本当に小さな人間みたいだ。

 存分に色っぽさを見せ付けられると、今度は詰まった襟元をはだけて、あたしに胸元を見せつける。ピンクだ、と下着チェックをしながらも、あたしは気まずさとどうしようもなさから頭をガシガシと掻いた。

 リカちゃんの、きっちりと結っていた髪も今ではぐしゃっと乱れているのだけど、帽子を外さないのはポイントらしい。スカートだって持ち上がって完璧見えちゃってるんだけど、ピンク以外の感想を持てない。

 あたしが何をするでもなくただひたすら観ていると、ここってそういう系の店ですか、それともアナタAV女優ですか並の格好で過激なダンスをし始める。ダンスの合間にはこっちへ来いみたいなジェスチャーが混ざるんだけど、来いって言われてもねえ。

 しかし、いつまでたっても誘惑ダンスは終わる気配はない。あたしは腕を組んだまま見つめていたけど、だんだん飽きてきてため息と一緒に独り言が出る。

「っていうか、あたし女だし」

 突然、リカちゃん人形の動きが止まる。リカちゃんはまるで生き物のようにあたしと目を合わせた。人形って普通、目が合うというより顔をこっちに向けるって感じだけど、今は確実に目が合ってる。今まで見えていなかった私の姿が突然見えたみたいに。

 リカちゃんの口が裂けるみたいに、腹の底から喜んでいるみたいに、笑った。

「ヨウコソ、コチラへ」

 耳元で低い男の声がした。あたしは背中全体に鳥肌が立って、勢いよく振り返る。しかし誰もいない。こみ上げる笑いを必死で押さえているような、そんな声だった。

 もう一度先生の机の上を振り返ったが、そこにはもうリカちゃんはいなかった。

 あたしはどうしていいのかわからず、ただ呆然と立ちつくした。いつもなら夢から覚めるのに、今回は全然目が覚めない。頬を思いっきりつねると、かなりリアルに痛い。

 そういえば、空気が淀んでる気がする。いつもはそんなこと考えもしなかったけど、今ここはすごく空気が悪い。

 息苦しくなって保健室から廊下に出た。廊下は室内よりはいいけど、今度はひんやりとして肌寒い。

「ちょっと待ってよ、これってあたしの夢なんでしょ?」

 あたしの声は無人の廊下に響いた。

 口に出して、わかった。これはあたしの夢なんかじゃなくて、現実だ。

 震える手で、震える腕をさする。廊下の真ん中にいた、いつもの黒い犬みたいな操り人形が金色のプラスチックの目で見つめていた。あたしと目が合うと、またいつものように歩き出す。

 ゆっくりと息を吐き出して心を落ち着かせると、その後ろをついて歩くことにした。あたしにはそれ以外に選択肢がない。

 上履きの裏のゴムが擦れるキュッキュっていう音が、廊下に響く。つま先だけでそっと一階の廊下を歩いていると、職員用の玄関があった。あたしは思わず玄関の扉に駆け寄った。ガタガタと揺らしてみるものの鍵が掛かっていて開かない。でも前の時みたいに微動だにしないわけじゃない。何とかすれば出れる。でもピッキングなんて出来ないし、あとは玄関のガラスを割るくらいしか思い浮かばない。何か堅いものがあれば、とあたしはきょろきょろと見回すと、廊下の真ん中にいるあの黒い犬みたいなやつがこちらを見つめていた。

 プラスチックの目に吸い込まれそうになって、あたしはぎゅっと目をつぶる。恐る恐る目を開いてみたが、ベッドの中でした的な幸せな展開はなく、ここは学校の職員用玄関で目の前にはあの黒いやつがいる。

 あたしは諦めて、廊下に戻る。なんとなく、感覚でわかっていた。今までは何をやっても大丈夫だったんだと思う。でも今は、あまりにも勝手な行動をすると五体満足な保障はない。この黒い操り人形がどうやってあたしに襲いかかってくるのかなんてまったく想像が着かないけど、絶対機嫌を損ねたらヤバい。

 そいつは納得したようにまた歩き出すと、扉の開いていた部屋へと入る。職員室だった。

 たくさんの机が並んでいていくつかのグループが出来ていたけど、どの机も綺麗に片付けられている。というより、これは使われていないって言った方が正しい気がする。先生の机なんだから、教科書の一つや二つあってもいいはずなのに、どの机の上にもない。

「ねえ、そこのきみ」

 奥の方から、少し間延びした男の人の声がした。あたしは思わず辺りを見回したが、きみとか言われるのは、あたし以外にいないっぽい。へっぴり腰で奥を覗くと、長椅子の上が明るくなっていた。その中央部分には、プーさんのぬいぐるみが仰向けで置いてある。学生鞄に入るような小さなものではなくて、保育園児くらいはありそうなサイズ。お店でさわらないでくださいとか書かれておいてありそうな、それでもって親バカが娘の誕生日とかにプレゼントしてそうな、それくらい高そうなサイズ。

「ぼくの頭の上に、はちみつのツボがおいてあるだろう? それを取ってくれないかな」

 予想通り、どうやら声の主はこのプーさんらしい。たしかに寝転がっている頭上に壺っぽいものはあるけど、プーさんも手を伸ばせば十分届く位置だ。

「頭のすぐ上だし、全然手が届くと思うよ」

「手を伸ばすのがめんどうくさいんだ。ねえ、きみ取ってよ」

「面倒って……それくらい簡単なことじゃん」

「手を伸ばしたら、こんどは手を引っ込めないといけないんだろ? 大変じゃないか。だから、きみ取ってよ」

 あたしは腕を組んで、大きくため息をつく。無駄にねっとりもったりした話し方もそうだけど、この態度にもイライラする。話をしていたってラチがあかないみたいだから、長椅子の近くへ歩み寄った。そして、良い香りのする蜂蜜の入った素焼きの壺を手にとって、プーさんの顔の前へ差し出してやる。

「わーい、ありがとう」

 プーさんは両手で受け取ったが、そのままじっとして動かない。

「このままじゃはちみつを食べられないよ。ねえ、ぼくを起こしてくれないかな?」

「はぁ?」

「横になったままじゃ、大好きなはちみつが食べられないんだ。ぼくを起こしてくれないかな?」

 思わず怒鳴りかけたけど、ここで何を言ってもこの怠け者には通じない。絶対。

 とりあえず、壺を受け取って置いておくと、あたしは親切にもプーさんの上半身を起こして長椅子に腰掛けさせてやる。そしてもう一度壺を渡してやるというこの優しさ。

「わーい、ありがとう」

 プーさんはやっぱり間延びした、本当に喜んでいるんだかいないんだかよくわからない口調で礼を言う。しかし蜂蜜を食べるわけでもなく、両手で抱えるようにして持っている壺の中を覗きながら、じっと動かない。

「ねえ、ぼくにこのはちみつを食べさせてくれないかな?」

 もう呆れて声も出ない。

「手ですくって口の中へ運ぶのがめんどうくさいんだ。ねえ、ぼくにこのはちみつを食べさせてくれないかな?」

「なんであたしがあんたの口の中まで手ぇつっこんであげなきゃいけないのよ。それくらい自分でしなさいよ」

「きみはケチだなぁ。どうしてしてくれないの?」

「だから! あんたの口の中へ手を入れたいって思うほどあたしは変態じゃないの!」

「おともだちが困っているときには、助けてあげるんだよ。今ぼくははちみつが食べられなくて困っているんだ。だからおともだちがぼくを助けてくれるんだよ」

「あーもう! じゃあ、上向きなさいよ。流し入れてあげるから!」

 あたしは壺を奪い取り、プーさんの口元めがけて逆さまにする。プーさんはうれしそうに、流れてくる蜂蜜をごくごくと飲み出した。





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