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【雑記】これだから人間関係は#哲学問題私の答え

 いつも拝見しているcamyuさんが山根あきらさんの哲学問題に参戦されていました。ちょっと面白そうなので、元哲学徒(というほどでもない)ひよこも考えてみます。

 山根あきらさんのもとの記事はこちらです。

 問題はこんな感じです。

AさんはBさんに言いました。
「Cさんにひどいことをされました。Bさん、お願いです。私と一緒に、Cさんに復讐するのを手伝ってください」
Bさんは答えました。
「私はCさんのことを知りません。だからお断りします」
Aさんは言いました。
「Bさん、私のことを信じられないのですか?」
Bさんは答えました。
「いいえ、そんなことはありません。私はAさんのことを信じています」
Aさんは言いました。
「だったら、私にひどいことをしたCさんに復讐するのを手伝ってください」
Bさんは答えました。
「わかりました。お手伝いしましょう」
かくして、AさんとBさんは力を合わせて、Cさんを叩きのめしました。

しばらくしてから、BさんはAさんに言いました。
「Aさん、私はDさんにひどいことをされました。だから、一緒に復讐するのを手伝ってください」
Aさんは言いました。
「Dさんのことはなにも知りません。だから、お断りします」
Bさんは言いました。
「この前、あなたを信じて、一緒にCさんを叩きのめすお手伝いをしました。だから、今度は私の復讐のお手伝いをしてください」
Aさんは言いました。
「それとこれとは話が違います。私は知らない人のことには関わりたくありません」
AさんはBさんのDさんへの復讐には、決して加担しようとはしませんでした。
結局Bさんは、たった1人でDを叩きのめしました。

山根あきらさんの記事より引用

考える視点は、以下の2つ。
①AさんとBさんとの相互関係・信頼関係からの考察(当事者の視点)。
②第三者から見た視点。

考える問は、記事のタイトルになっている「卑怯なのは誰か? どちらが倫理的か?」と捉えています。

    🐤    🐤    🐤

 まず①。
 直感で行くと、「……え、Aさんズルくね?」となる。つまり、私が立っているのはBサイド。
 Aの復讐の時、Bは一度断るのだ。断るようなことを、今後のAB間の良好な関係のために引き受けた。でも似たようなことが起こったときにAは突っぱねる。

 ……ところで、「卑怯」の定義って何だっけ? となったので、グーグル先生に訊きました。

[名・形動]《本来は「比興」で「卑怯」は当て字か》勇気がなく、物事に正面から取り組もうとしないこと。正々堂々としていないこと。また、そのさま。「―にも真っ先に逃げ出す」「―なやり方」「―者」

goo辞書より

 Bに手伝わせたのに、Bのお願いは聞かなかったA。Aは卑怯だろうか?

 「Dさんのことはなにも知りません。だから、お断りします」「私は知らない人のことには関わりたくありません」という断りが文字通りなら、上記の「卑怯」の定義には合わない。正々堂々と断っている。
 むしろ、自らの意見を覆し加担したBの方が「卑怯」の定義に近いのではないだろうか。しかも、悪い言い方をすればBは「Aに一度恩を売ったのだから、返してもらえる」という皮算用をしている。

 これが例えば、Aの復讐を引き受ける際に「もし同じようなことがわたしにあったら復讐を手伝ってください」と言葉にしていれば、これは恩ではなく取引条件となる。そのうえでAが引き受けなかったのであればAの方が「卑怯」とも言えるだろう。

 というわけで、①の私の答えは、卑怯なのはB、となる。
 なお、どちらが倫理的か? というのは、②の方で。


 ところで、この「恩を受けたら返す」という暗黙のルールは、海外では通じないと思っていた方が良さそうです。以前、ひろゆきさんがそんな話をしていたので、切り抜きを紹介します。


ではでは②。第三者から見て「卑怯なのは誰か? どちらが倫理的か?」

どっちもダメに決まってるじゃん🐤💢
どっちも卑怯! どっちも倫理的じゃない!!
というのが素直な意見です。

 前提条件として、復讐は悪いこと、となっている。悪いことを2人ともしてるんだから悪い。
 CさんやDさんにひどいことをされたのなら、それを訴えるのが筋だ。ひどいことをされたから復讐する、というのはいわゆる私刑=リンチだ。どんな復讐なのかは知らないが、違法行為なら罪となる。
 それを公に訴える選択肢を除き、私刑を選んでいる時点で卑怯なのである。

 そして、どちらが倫理的か? という問いの前に、グーグル先生に「倫理」を教えてもらいましょう。

人として守り行うべき道。善悪・正邪判断において普遍的な規準となるもの。道徳。モラル。「―にもとる行為」「―観」「政治―」
倫理学」の略。

goo辞書より

「倫理」が「普遍的な規準となるもの」なのであれば、
「どちらが倫理的か?」は「どちらが倫理的に悪いか?」という問いと解釈して答えると「どちらも悪い」。量刑は2回復讐を実行したBの方が重くなるだろう。


ところでところで。
私刑はダメ。ゼッタイ。と言いましたが江戸時代は、お上公認で敵討ち・仇討ちOKだったらしいですね。こんな背景が、この哲学問題を難しくしているように思えます。



 対等な共犯だと思っていたら、実は自分だけ泥を被っていたという残念なBですが、先日そんな感じの掌編を書いたばかりでした。
 身代わりに友人を突き出した結果、称賛を浴びてるメロスとかいう男の友人の方の話。


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