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【連載小説】第5話 ひとりぼっちの高校生は少女の面影を見る #創作大賞2024#ファンタジー小説部門




第5話   (約3200字)

「月曜から期末試験期間に入る。この週末を有意義に使うように」

 いつものように怒っているような声で、後藤先生が終礼を区切り号令がかかる。

 私はカバンにノートを詰め込みながら横を見ると、案の定奈那が千石君をにらんでいた。

「来週が楽しみですこと。普段まったく勉強をしていないこのあたしの本領が発揮されるのよ。長かった二週間。毎日、机に向かったのよ。そう、毎日!」

「こんなこと訊くのも今更だが、お前本気で俺と勝負する気でいるのか?」

「あったりまえよ。あんたみたいなセクハラ野郎(仮)に、たとえどんな勝負であろうと負けてたまるもんですか」

「メデタイ話だな」

 千石君は小さく呟くと、そのままカバンを肩に担いで教室を出て行く。その背中に向かって奈那は自分のカバンを投げる。

「ちょっと聞こえたわよ。どういう意味なのそれ!」

 そのまま追いかけるように走って出て行く姿を、私は呆気にとられて見つめていた。我に返ると、ひとりになっていたことに気づく。

 カバンを持って私は屋上へ向かった。空は一面厚い雲に覆われ、今にも泣き出しそうな薄灰色をしている。屋上へつながる扉のすぐ横の壁にもたれかかり、ただ空を眺めていた。もう夏なのに通り抜ける風がひんやりとしていて身体が冷えるようだった。このままここにいたらまた私は風邪を引くかもしれない。それくらい寒く感じた。

 一羽のカラスが西の空に飛んでいくのが見える。そろそろ帰って夕飯の準備をしないと。私は声を立てて笑う。必要ない。お祖父さんは料理が得意なのだ。私がいなくても、自分で好きなものを作って食べるのだろう。

 たしかに、お父さんが亡くなった後はじめて訪れたお祖父さんの家は汚かった。それを全部掃除して、整理整頓をした。それからもずっと綺麗な状態を保っている。しかし、お祖父さんは私が来るまでの間、ずっとあの家で暮らしていたのだ。やろうとさえ思えばなんでもできる人だから、別に汚くても苦痛ではなかったのだろう。

 私がいなくても、お祖父さんはまた以前と同じように日々を過ごすのだ。一年半なんて、お祖父さんにとってはほんの一時のことでしかない。

 突然、屋上の扉が開く。私は目の前に迫った扉を見つめながら、思わず息をひそめた。その人はいい加減に人がいないことを確認すると、扉を閉めてカギをする。私は意外にも焦らなかった。むしろ見つからなかったことに安堵した。屋上の出入り口はその一か所しかなく、後は校舎の外側についている非常用の梯子くらいだ。

 梯子のそばへ行くと、フェンス越しに校門が見える。時間はまだ早いが生徒の姿は一人も見えなかった。そっと目を閉じる。薄灰色の東の空から蒼い闇が迫ってくるのを想像する。

 屋上に張り巡らされたフェンスの中に、一か所だけ非常用の梯子へつながる金属製の扉がある。カギのかかっていない錠前をじっと見つめながら、私はここから飛び降りることを想像する。私が飛び降りることを悲しむ人を想像する。私が飛び降りて困る人を想像する。

 お祖父さんは、悲しんでくれるかもしれない。しかし、ただ私がいなかったときの暮らしに戻るだけだ。

 奈那は、あの性格だ。友達は多いし、今は千石君がいる。きっと悲しんではくれるけど、立ち直るのも早いだろう。

 クラスメイトもそうだ。まさか白谷さんが、と泣いてくれる人もいるかもしれない。けれど試験が終わって夏休みも過ぎると私のことなど忘れている。

 私は扉の錠前を外し、フェンスの外に立つ。薄暗い夏の夕闇が東から訪れるのを静かに眺める。遠くの木々の揺らめきと人影の見分けが徐々につきにくくなってくる。

 通り抜ける風が私の身体を芯から冷やす。それが今は心地よかった。指先が冷たくなり、フェンスを掴んでいる感覚が無くなってくる。

 ふと目の前の空中に石段がみえた。一段目に赤い着物の女の子が座っている。桜の模様の入った着物で、真っ黒の髪をきれいに結ってもらっていた。私が見えているのかいないのか、足元を見つめじっと座っている。

 その女の子を見つめながら、私を置いていったお母さんのことを考える。

 私はお母さんが好きだった。いつもきれいで、優しくて、私はお母さんに嫌われたくなくて、常に良い子にしていた。言われたことは必ず守り、お手伝いを積極的にして、迷惑をかけないようにした。だけど、お母さんは私とお父さんを置いていった。

 お父さんは、私が悲しまないように明るくふるまっていた。三人で暮らしていたときとは比べものにならないほど私に話しかけてくれるようになり、私はお父さんに負担がかからないように、お母さんの代わりをした。お父さんはただ前と同じように生活していてくれれば十分だった。でも、リストラされ、そのことを隠して自殺した。私は結局、お父さんの役には立っていなかった。

「未紀!」

 奈那の声が聞こえた。校舎へ走って近づく影が見える。奈那と、千石君だ。私の立っている場所の下まで走ってくると、息を整えながら私を見上げる。

「未紀、何やってんの! 絶対そこから動いちゃダメだよ。今行くから」

 そういうと、奈那は壁を駆け上がり、非常用の梯子に手をかける。

「奈那。危ないから上っちゃダメだよ」

「あんたに言われたくないわよ」

 声を張り上げていたわけでもないのに、私の言葉に奈那が反応する。いつのまにか風が凪いでいた。少しずつ梯子を登ってくる彼女を見ながら、私は口を開く。

「奈那が落ちて死んじゃったらどうするの? やめてよ」

「だから、それはこっちのセリフだってば!」

「違うよ。違うの」

 私は言葉が出てこないもどかしさを感じながら、空を仰ぐ。暗い雲が立ち込め、私に覆い被さろうとしていた。その薄灰色を肺いっぱいに吸い込み、黒い息を吐き出す。

「奈那は、だめなの。奈那が死んだら悲しむ人がたくさんいるし、奈那がいるからこそクラスがあんなに賑やかなんだもの。奈那は、みんなから必要とされてるの。でも私は違う。私が死んだって、それは悲しんでくれる人もいるかもしれないけど、別にいなくても何も変わらない。お祖父さんだって私がいなくても生活できるし、お母さんもお父さんも私を必要としていなかった。私がいなくても、何も変わらない」

 目の前でうずくまる女の子を見つめる。少女は、思わず髪を触り外れてしまった桜のかんざしを両手に握りしめてうつむく。唇をきつく結んでいるのがみえる。

「くだらねぇ」

 はっきりと、怒気を含んだ低い声が響いた。千石君が、冷ややかに私を見上げていた。

「じゃあ死ねよ。そんなに死にたきゃ死ねばいい。別に特別な存在じゃねえ。特別なモンを持ってるわけでもねえ。たしかに、あんたが死んだって誰も困らねえし、何も変わらなねえ」

 腕の力が抜けていくのがわかる。体が闇に溶けていくように、軽くなっていく気がした。フェンスが揺れて音を立てる。

「だけど生きてたら、この先何か変わるかもしれねえじゃねえか! 何も特別なモンなんてなくても、何か変えられるかもしれねえじゃねえか! 健康なヤツが贅沢言ってんじゃねえよ。んなこともわかんねえなら、さっさと死ね、バーカ!」

 女の子を迎えに来るお祖父さんの幻影は現れない。ただずっと、かんざしを握りしめて、涙をこらえていた。

 私はなんとなくわかっていた。この女の子が待っているのは、お母さんでもお祖父さんでもない。誰からも必要とされない、無価値な自分を許すことのできない、この私自身なのだと。

 私は、女の子の方へ両手を差し出し、優しく包み込む。彼女の背中を撫でながら、ごめんね、とささやいた。もう我慢しないで、泣いていいんだよ、と。

 女の子は温かい手で私を掴む。その小さな手から感情が流れてくる。身体の芯が溶けるように、私の目からは自然と涙があふれた。

 女の子が嗚咽を漏らし始めると同時に、布を裂くような奈那の悲鳴が聞こえる。刹那、私の身体は急速に落下した。






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