心の「色」と、発する言葉を、限りなく一致させたいのよ

ちょうど一年ほど前のこと。とある場で、金木犀の花のシロップ漬けでできたお茶をいただく機会があった。

透明なカップに、綺麗な橙色がまるで夕焼け空のように広がっていて、その真ん中で、可愛らしい金木犀の花たちが踊っていた。

ああ、なんて綺麗なんだろう。

飲んでみると、あの金木犀の香りと、泣けるほど優しい甘さが本当に素晴らしくて、ときめきを隠せずにいたら、その中のお一人が、「この感じを歌で表現するとどんな感じ?」と、ふいに私に質問してきた。

「そんな、無茶振り〜!泣笑」と思いつつも、そこで、できませんと言って場の流れを止めてしまうことは、私の美学に反する。でも、やっぱりこの感動を一瞬で歌にするスキルは私には、ないわけで。

どうしよう、と思いながら、頭をフル回転させた2秒後、私は勢いに任せて「『キンモクセイ〜〜♪』って感じですね。」とオペラ風に不必要なビブラートをかけ、ただ「金木犀」と言うだけのパフォーマンスをした。

その場にいた方たちは、「わー!すごーい♪」と反応してくださり、私は、場の流れを止めなかったことへの安堵と達成感を噛み締めたのも束の間、今度はとてつもない違和感と絶望感に襲われた。

ぜんっっぜん違う。
私がこのお茶をいただいて感じたことは、こんな陽気なオペラ調では、ない。ない。ない。

自分の心の中にある映像や音色や匂いと、さっき安易に発してしまったオペラ調が、あまりに異なりすぎて、すごく不誠実に感じてしまった。自分に対しても、聴いてくださった方々に対しても、音楽に対しても。

到底拭い去ることのできないモヤモヤが残ったので、帰宅後、ピアノに向かった。どうすれば、この感覚を正確に表現できるのか。歌詞を書き、キーを選び、メロディーを作った。そしてようやく、自分の感覚に近いと思えるものが、出来上がった。

そうそう、これ。これなのよ!
って、心が喜んでいる感じがした。

それが、思いのほか気持ちよくて。自分の心を丁寧に表現するって、こんなに気持ちいいことなのかと。もともとわりと正直に生きているつもりでいたけど、ここまでミリ単位で自分の感覚を見つめて、それに忠実にアウトプットしたのは、初めてだった。

これは、作曲だけではなくて、普段発する言葉も同じだなと思った。ちょっとした返信や、何気ない相槌に至るまで。

今回作曲したみたいに、極限まで丁寧に自分の感覚を見つめて、それに一致する言葉を選んで発する訓練を続けたら、最初は時間がかかるかもしれないけど、そのうち反射的に正確な表現ができるようになって、最終的には、毎秒がめちゃくちゃ気持ち良い人生を送ることになるんじゃなかろうか。

「自分を大切にする」ってよく言われるけど、それにはきっといろいろな方法があって、私にとってのそれは、「心の中に映し出されている世界を、限りなく正確にアウトプットしてあげること」だと思って、日々、生きています。金木犀は、その学びの象徴。

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