命あるものは・・

8日。父の月命日。
昨年3月、父が亡くなった。
1年を過ぎ、ようやく母も私も気持ちが落ち着いて来たように思う。

昨年の暮れ、離れた実家に帰ると、
「また やったみたいだ・・」と父。
90を過ぎたころから、骨粗しょう症で定期的に骨折を繰り返していた。
何をしたわけではない、ちょっとした拍子に折れる・・というか
骨が崩れていくのだ。

この時は、いつものようにまた激痛の1~2週間をやり過ごし、
治るものと思っていた。

その日から自力では全く立てなくなり、高熱まで出て、
すぐ入院させましょう、「入院しますよ、今度はいいですね」と
いつも往診してくださる先生が、病院嫌いの父を半ば説得する形で
お正月の入院となった。

それからは、口を開けば、家に帰りたいと繰り返す父との心理戦。


95歳になってなお、数的感覚に長けていて
自分の通帳の番号や定期預金の満期の正確な日程を把握し、
その時分一番の気になることは2月17日からの確定申告の事
先生から聞いた血液検査の数値はしっかり記憶し分析し・・

右脳ですべてを解決しようとする私には1ミリもこの遺伝子は
受け継がれなかったが( ;∀;)
3か所の骨折のせいで、まともに息が出来ず酸素吸入、食事もできず、
ずっと高熱なのに、病院の先生も、この状態でここまで頭がしっかり
している95歳に半ば呆れながらも感心していた。


入院も2か月を過ぎるころ、家で看取る覚悟をし、
酸素吸入なしでは過ごせなくなっていた父を家に連れて帰った。

昼夜問わず来て下さる訪問看護の看護師さん。
その尊い存在なしには、私も母もすぐに参ってしまっていただろう。

家に連れて帰って5日。
共に過ごせたこと、周りを気にせず夜中も大きな声で思い出話できたこと
ありがとうと伝えられたこと・・
母と兄と私と、父の手を握りながら、話しながら
大切な父が天寿を全うする瞬間を一緒に過ごせたこと。

愛する人も必ず、生きている限りはこの時を迎えるんだ。
頭では解ってはいたが、最後に父が身をもってそう教えてくれた。


父が亡くなり、ほどなくして、コロナが原因での
芸能人の方々の訃報を知った。
私も悲しみのさ中にいたが、流れる映像を見て
コロナで家族を亡くした方々が
どんなにやるせない思いを抱えていらっしゃるのか・・・
それを思うとコロナが憎くて、大泣きした。

時が過ぎ、今の気がかりは、離れた実家に一人残された母。
遠距離で、車で5時間かかる距離を、様子を見に
月一で帰っている。

50代、子育てが落ち着けば、両親の事。
きっとこの年代、同じ思いを持った方も多いのかな・・

それでは、また。

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