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🍺13 お盆の奇妙な体験談

ビールスタンド重富マスター重富です
100年続く、重富酒店を経営しながら 酒屋の店先と、広島駅で
ビールスタンド重富というビールスタンドを運営しています。
ビールの美味しさ、楽しさを伝える「麦酒伝道師」を目指します。

今日の放送は 2020年8月17日 13回目です
今日は 予定を変更して、このお盆に起きた奇妙な体験をお伝えします。


今回は、ビールに関する内容でお届けしたいと思います。
始まって13回目にしてはじめて、ビールに関する内容になります
お待たせいたしました。 でも また次回からはビールから離れていきますがご容赦ください


ビールスタンド重富の構想の元となった写真があります。
この写真に写っているのが、おそらく日本で最初に発行された
生ビールサーバーの取り扱い説明書です。 発行されたのは昭和8年
今から87年前のことです。説明書のタイトルが「生ビール読本」
この本の中のビールサーバーの挿絵をみて、その挿絵を復刻したのが今のビールスタンド重富です。

中野の麦酒大学の学長が、古本サイトで、「生ビール読本」を買ったという話を聞きました。 しかし、学長の購入した生ビール読本と重富の持っている読本では、内容が少し違います。 重富の手元にあるのは、アサヒビール系列、学長が購入したのはエビスビール系列なのです。

生ビール読本は1種類ではなく、ビールメーカー毎に違うヴァージョンがあるに違いない! と、古本探しが始まります。

学長から教えてもらった、古本屋さんのサイトで「生ビール読本」で検索すると出てきたのは、戦後のビールエッセイで有名な、ドイツ学者の植田敏郎さんの書かれた「定本ビール読本」 まず、これを購入。そして、次にビールで検索して、題名で興味がわいたものを数冊購入しました。
そして最初に届いたのが、植田先生の「定本ビール読本」
この本を読み進めていて、ある3行に目が留まり、そこから先に読み進むことが出来ませんでした。

その3行を読みますね

「最後に、広島生まれのわたしは、夏のビアガーデンは別として、本当のビアホールの味を覚えたのは新天地入口にできたキリンビアホールであった。開店当時のありさまが、今でも目に浮かぶ。」

そうなんです! 植田先生の出身は広島でした。 そして昭和13年にオープンしたキリンビアホールでビールを飲まれているのです。 その当時植田先生は30歳。これまで、ただつらつらと先生の著書を読んでいましたが、そこから先はまったく違った感情で読み始めることになります。
というか、これまで読んだ先生の数冊の本も、読み返そうと決心した次第です。


そして、まだまだ興奮が冷めない所に、次の本が翌日届きます。
その本が「キリンビール広島工場五十周年史。
キリンビアホールと同じ年にできた、キリンビール工場の歴史の本です。
ある意味、運命を感じました。

そして翌日届いた本が  「金曜会一千回記念」の冊子です。
これは、買うのを迷ったのですが、なんとなく購入することにした冊子です。

お盆初日に届いた定本ビール読本の中に こう書かれています
新橋ミュンヘンの桜井店長と飲み仲間の会を立ち上げたと…その会の名称が「金曜会」 今回購入した冊子は その金曜会の千回記念の冊子です。

この連鎖をどうとらえればよいのか?
少し怖くなりました。
そこに、ある方から初めてメッセージが届きます。
そのメッセージの主が、金曜会の開催場所であった、新橋ミュンヘン。その当時ミュンヘンは、新橋、有楽町、銀座、渋谷、名古屋にあったようですが、現在も残っているのは新宿ミュンヘン。その新宿ミュンヘンで、昨年までビールを注がれていた、ビール注ぎ名人の八木さんからです。

お盆の3日間、植田先生の本から始まりましたが… ドイツ・広島・ミュンヘン。ビールで時代を超えた海外旅行をしているような気持になりました。


第13回目の放送は ここまでです
次回は、佐世保社会福祉協議会についてお話したいと思います。

おしらせです

現在重富は、クラウドファンディングに挑戦中で
先日 目標達成しました。皆様、ご支援ありがとうございます。 
引き続き、今月8月末までご支援を受け付けています。
よろしくお願いいたします。

コロナが収束するまでに、日本中のビールを美味しくするプロジェクトです。
ネットで「カナエンサイ夢」で検索してみてください。

「手入れの行き届いたビールは、笑顔を生み出します」
ビールスタンド重富マスター 重富がお届けしました。