「それでも世界が続くなら」と元彼女

昔、大学二年生のとき、「『それでも世界が続くなら』と彼女」という文章をTwitterにあげたことがある。
iphoneのメモ画面のスクリーンショット4枚程度の文章を。

機種変をして、その時のTwitterアカウントも消して、もはや何もなくなってしまったけど、その時の彼女の近況を聞く機会があったから、なんとなく区切りとして書こうと思う。

当時、「それでも世界が続くなら」の曲をその彼女に聞かせたら、「これは自分を痛めつけるために聞くの?」って、心底分からなそうな顔で聞かれた。
それでいいと思ったし、その感覚が分からないその彼女のことを好きだと思った。
そんな人になりたくて、手を伸ばし続けたい。
みたいな話を、書いたと思う。

あれから俺はうつになって、その彼女と別れた。

アルバイトから帰る途中に、足が動かなくなって、本当に動かせなくなって、これはもうダメだって病院に行くことを決めた。
大学二年生の、11月のことだったと思う。

それから、ご飯もあまり食わず、部屋の掃除もろくにできなくなって、外に遊びに行くのもなかなか難しくなって、振られた。当然のことだと思う。
振られるちょっと前に
「最近、一緒にいて楽しくない」
って泣かれたのを、今でも覚えてる。
「ずっと楽しくなきゃ、付き合ってる意味はないの?」
なんて将来までなんとなく考えてた俺は確か言ったけど、そりゃそうだ。大学生だし、楽しくなきゃ一緒にいる意味はない。
別れ話はあっさりとしてて、「別れたい」っていう向こうの言葉に、「わかった」とだけ返した。
大学三年生の6月のこと。

それからはもうアルバイトと学業と、酒の毎日。どうしても、病気になっても、親に金を払ってもらってる大学だけは休めなかった。
大学四年生で、安定を求めて別の人と付き合ったけど、「恋愛」なんてものじゃなかったし、その人と別れて無駄に友達を失った。


そんな元彼女が、今年に入って入籍したらしい。
もう関わりはないから、共通の友達から聞いた話。
純粋におめでとう、と思った。別れてすぐは恨んだりもしたけど、それでもおめでとうってちゃんと思えた。

俺はというと、大学院に進学後実家に戻って、そこで色々な責任に押し潰されて、「強迫性障害と軽度のうつ」って再度診断を受けた。今は別の病院で通院を続けてる。休学して、なんとかそれを隠して絶賛就活中。全然上手くいかないけど、「普通」の生活を諦めきれなくて。
振られて仕方なかったと思うくらい、将来がない生活をしてる。
恋愛沙汰は、もう考えている余裕がない。

いじめのない環境で育って、家族仲が良かった元彼女と、
中学時代に不登校になって、その時に家族に見切りをつけたのに、親にかけてる負担だけを考えて生きてきた俺と、
分かり合えるわけなかったのかもなって、そう思う。
大学二年生のとき書いたみたいに、苦痛に触れずに済むならそっちの方がいい。

でもきっと、分かり合いたかったんだなとも思う。分かってほしかったし、分かりたかった。
自分を痛めつけるような音楽を聴くことで救われる気持ちになる人間がいることを、分かってほしかった。
そういうものがなくても幸せに楽しく生きられる感覚を、分かりたかった。
結局分かり合えなかったし、もう関わることもないだろうけど、そんなことをなんとなく、入籍したって聞いてから、思った。

今でも俺は、それでも世界が続くならを、痛くても優しい音楽を聴いてるし、毎日辛い気もするけど、それでもまぁ、生きてる。いつ死ぬか分かんないけど、死なない限り手は伸ばし続けると思う。難しいし、苦しいことばっかりだけど。


直接言えないけど、結婚おめでとう。
どうか元気で。


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