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自粛、ストレス

s://anond.hatelabo.jp/20210111000145

ツイッターでこんな記事が話題になっていた。

この記事は、コロナで1年間自粛を続けていたが、様々なことを我慢する生活をし続けることが精神的に厳しくなってきた。若者は重症化のリスクが低いが、それでも自制心をもって我慢してきているのに、社会は感謝の一言もないばかりか若者叩きまでしている状況だ。せめて感謝するなり、利益を示すなりするべきではないか?……というのを、実際にはさほど自粛によってストレスをうけているわけではない、むしろ労働のリモート化によって恩恵を受けている筆者が問題提起?のために、自粛疲れを感じる若者を装って書いたものである。

この記事を読んだとき、私は正直なところ心がスッとした。ずっと言いたかったことを見知らぬだれかが代弁してくれたからだ。

私は大学二年生だ。本当は去年は半年ほど留学するはずだったが、コロナの影響で中止になった。タイミング的に留学に行けるのは2年の時期ぐらいだったので、今後コロナが収束しても留学することはかなわないだろう。今年度の講義はそのほとんどがオンラインで行われ、友人らと直接会う機会はほとんどなく、ロボット製作のサークル活動も一切行えなかった。外出も最低限のもの以外は控えている。最近はずっと家に閉じこもっているせいなのか活力がわかず、何をするでもなく、無気力に過ごしている。辛い。はっきり言ってかなりつらい。普段から出不精な方の私でも、いざ行動を制限するとなるとこうも辛いのだから、活動的な人たちはもっとだろう。

そのうえ、当該記事にもあるように私たち若者の感染リスクは高齢者と比べてかなり低い。もし私が自粛をやめコロナ以前のように活動しても、元々の出不精も考えると、コロナに感染することのリスクはそこまで高くないだろう。

それでも私が自粛をしている理由は、早い話が社会のためである。少しでも社会にコロナを広めないためにと思って自粛生活を送っている。それなのになんだ、社会の人々は若者が悪いだの声高に叫ぶわ、政治家は偉そうにああだこうだ言いながら、その口で会食してたりなんかする。

はっきり言ってバカバカしくなってくる。

そもそもの話、自粛生活を続けるインセンティブが薄いのだ。自分一人が自粛したところで、医療インフラが崩壊するしないを左右するかと言われればおそらくNOであろうし(念のため書いておくが、そういった考え方の人間が増えれば医療インフラが崩壊するということは私もわかっている)、そもそも医療インフラの問題は個人の利益というよりは、(自分という個人も含む)日本社会全体の利益といったほうが正しいであろう。はっきり言って個人の(相対的な)利益は皆無と言っていいと思う。それでは自粛生活をする動機付けとしては薄い。それに対して、自粛をせず普段通りの生活を送った場合は、不自由ない生活が戻ってくるという意味では個人の(相対的な)利益があるといっていいだろう。つまり、倫理観だのそういったものを抜きにして考えた場合、自粛をしない生活のほうが理にかなっているのである。そしてこの一年もの自粛期間は、倫理観だけをとインセンティブとして我慢するには長すぎる。

ちなみにだが、これは医療従事者についても同じことが言えるのではないかと私は思っている。彼らは彼らのもつ使命感や良心によって、この過酷なコロナ下を感染リスクを負ってまで支えているが、それに見合った見返りを得ていないように見える。

そんな状況であるので、私は筆者と違い自粛生活をやめるつもりはないが、筆者のような自粛をやめる選択をした人間を責めようとは思えない。

話が取っ散らかってしまったが、要するに私が言いたいのは政治的な部分で自粛に関する何かしらのインセンティブを作る必要があるのではないか?ということだ。もう人々の善意によって感染を抑制・医療インフラを制御するのは限界だと私は思う。

こういった長文を書くのは初めてなので、おかしな部分が多分にあると思いますが、目を瞑っていただけると幸いです。

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