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バクのコックさんについて

バクは日本に伝来した際に夢を食べてくれる霊獣として崇められ、悪夢を見た後は「獏食え獏食え」など唱えられていた。
「バクのコックさん」という言葉の「の」の助詞の捉え方によっては、バクがコックさんであるのか、バクの為のコックさんであるのか意味が分かれるが、歌詞の内容として後者であることが分かる。

イントロは16分で手数多く展開されるが、スリップビートや符点8分を使うことで、ハネたようなフワフワしたような、夢を見ているようなメロディーが展開される。

雨振る夜は一人きり 消えてしまいそう
奇術の様に呆気なく 1 ・ 2 ・ 3で

雨が降っている夜。当然だが雨は涙、悲しみの比喩だ。語り手は一人きりで過ごし、夜通し街を歩いている。「Nice to meet you」や「心が雨漏りする日には」でも夜眠れない様子などが描かれており、語り手は不眠なのだと分かる。夜が終わった後は、「俺を不要と終いに消去」されそうな感覚に陥る。

1・2・3は「アン・ドゥ・トロワ」と歌われている。
1番では奇術、マジシャンが唱える1・2・3

もうすぐ夜が終わる模様 愚鈍なるパレード
頭の中で歌を飼う 不毛で好かんよ

「朝が降ってきて 明日をまた強制起動」させる。
明日(語り手にとっては今日の延長だが)になれば街が起きて人々が「同じ手段で同じ場所へ行く」。パレードのようだ。
頭の中で歌を拵えてみるが、人前で歌えないなら意味がない。

声は悲しみから 夏の前髪から 疑いを怒鳴るから 歌が割れる

かなり抽象的な文章が並ぶ。
多分、疑われる=歌が割れるというフレーズを使いたいだけの文章なのだが。
また、最初の2つは「〜みから」という韻を踏んでいるだけで、特に意味はなさそうだが、前髪(=向こう髪)は「女性(=後述の化け物)」の暗喩だろう。
薄っぺらい疑問提起、お前の歌いたい事は本物なのかと疑われる=(自分の)歌が割れる(壊れる)。といったところだろうか。

洗って何度も使う内に 右左脳に悪い水が溜まる
駄目になってしまうなら それでいーやって想う

眠ることは脳の掃除(=脳内物質で不要になったものの排除する時間)だという。
何度も眠って脳を掃除しているうちに、脳がぼやけた(=悪い水がたまった)ような感覚になるが、まあそれでダメになってしまうようならそれも良いかと、諦観した歌詞になっている。「いーや」という表現から分かるように事の重大さから語り手は目を逸らしている。

生きる程嘘は重ばってく それでも明日を夢見て寝る
獏肥ゆる青い春 仰いだら赤い血の恥

語り手は虚構を作り上げ、自身を肥大化させているが、それがBメロの「うたがわれる」原因となっていると気がついている。それでも明日になれば夢に近づく、どうにかなると夢見ている。幸福のように「高速ですれ違ってい」るだけなのだが。

『天高く馬肥ゆる秋』という言葉がある。過ごしやすい秋ですねといったような意味なのだが、ここでは獏が肥えており春になっている。何故獏が肥えるのかは多くの人が春にはなんらかの進路につき、夢を諦める(=バクに食べられる)からだろう。誰しもがバクのコックさんだ。

また「青春」と「血」が青と赤で対比となっている。
「馬」と「獏」は「秋」と「春」で対比させているのだろう。

青春時代に「仰」ぐものと言えば教師だろう。
(語り手の時代が『仰げば尊し』だったのかは分からないが。)
尊敬や畏敬の念(=綺麗事)を歌うなど赤っ恥以外の何者でもない。血液の恥だ。語り手にとって「血液は全てメロディー」なのだから。

雨降り街は唐傘小僧と河童の群れ
誰もが同じ音に舞う 1 ・ 2 ・ 3で

雨が降っている街では傘を指している人やそうでない人がいるが、誰もが早足で過ぎ去って行く。
2番ではバレエ、バレリーナが数える1・2・3
このフレーズを書きたい為に1番でもマジシャンの『いち・にの・さん(或いはワン・ツー・スリー)』をアン・ドゥ・トロワと読ませたのだろう。

声は悲しみから 夏の前髪から 疑いを怒鳴るから 歌が割れる

夢で見た街を探しに行く 手段が無いから歩いて行く
無意味なんて解ってる 本当はちゃんと知ってる

街は住処、居場所であるイメージ。夢にまで見た、自分という存在が認められた街を探し歩く。目的地が分からないのだから、歩いて彷徨うしかない。そもそもそんな街はないのだから、無意味だと知っているが、やめられない。雨降る夜でも夜通しでも歩いて自分の居場所を探している。

化け物と夏の花火へ行く 利き腕を質屋に出しに行く
俺の夢は不味いのかい? そんな断片が残ってた

ここの一文は印象的かつ解釈が非常に難しく思う。
語り手の中では、「幻によろしく」の「誰かさん」のように、化け物に具体的なイメージがあるのかもしれない。

「夏の花火」と言えばデートだろう。ここで言う「化け物」とは夢を共有できない異性のことで、話が通じないという意味での化け物ではないだろうか。
※バク、或いはギターを化け物と比喩している解釈もできそうだが、その場合の「質屋」が私には良く分からない。

そんな化け物と手を繋いで夏の花火を見る。語り手の右手と化け物の左手が繋ごうとする行為が、まるで質屋に右腕を差し出すような行為だと感じる。(質なので右手を差し出すことで、この後情事等の見返りがある)
そんな気持ちの中、青春で夢破れた(=バクに夢を食べられた)人たち(化け物含む)に思いを馳せる。その時にきっと思ったのだろう。俺はまだ夢を追っているが、俺の夢はバクも食べない程不味いのだろうかと。

停電になってロックは死んで 雨が続く
心配事を数えて眠り 夢は見ない

電気がこなくなればテレキャスターもRATもビッグマフも使えない。
「過ぎていったあれやそれに誰もが同じ夢を見る。微睡む向こう。夜の街。雨、雨、雨」。羊の代わりに、こういった心配事を数えているうちに、「薄いビールに少し酔って」眠ってしまうが、もう「夢は見ない」。語り手が向き合っている苦境は紛う事無き現実で、夢に逃がしてもくれない。

笑って明日を迎えに行く 「死ぬよりマシだ」と吐き捨て行く
いつか良い事あるから それが何だって想う

死は「明日を全うに生きることの次に恐ろしい」はずなので、「死ぬよりマシだ」というセリフは虚栄である。そうであるから吐き捨てるように諦観の念で笑って明日を迎えようとする。
とある人が『止まない雨はないより先にその傘をくれよ』と歌っているのと同じことで、「いつか良い事がある」。だからなんだよ、今を何とかしてくれよという想いが滲み出ている。未来を思っている余裕などない。「苦しみと同じだけって話なら俺にもっと分け前があるはずさ」。

歌声が夜を擦り抜け行く あなたの不安を殺しに来る
駄目になってしまうなら それでいいじゃないかと笑う

歌声も虚しく夜を擦り抜けて行ってしまうが、それでも誰かに届いて、少しでも不安を和らげられたらいい。「貴方の「毎日」と「万一」を彩る玩具であればいい」。
しかし、最後の「笑う」の歌い方を聞いて、「それでいいじゃないか」と思う人はいないだろう。虚勢で作り上げた論理。砂上の楼閣。危うい精神状態。
夢は見ず、巨大な敵(=「運命って言葉が浮かぶ 手も足も出せずに笑う」)に相対し笑い、それでも誰かの力になりたい。

如何に不安定だとしても、バクにこの夢が食べられることはない。

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