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アパルトの中の恋人達について

ハヌマーンのアルバム『REGRESSIVE ROCK』に収録されている、『アパルトの中の恋人達』は既に多くのサイトで考察されているとおり、アパートに同棲している男女のすれ違いを描いた名曲だ。

同アルバムは解散を機に出されたアルバムであるにも関わらず、捨てる曲が一切なく、あのまま活動していたならば、と強く思わせるアルバムで、最後の曲『17歳』を聞き終わるとなんとも物悲しい気分になってしまう。

そんな名盤の中の『アパルトの中の恋人たち』は邦楽ロックの中でも名曲と挙げられる機会もあるため、その歌詞の内容について思ったことを備忘録的に書き残しておきたい。

まず1番は男性視点で描かれる。
この節目で男女の視点を変える手法は一昔前の歌謡曲等でも用いられ、代表的な曲を挙げるとするなら『木綿のハンカチーフ』等がそれにあたる。山田亮一氏がハヌマーン解散後に結成した、バズマザーズでも『ソナチネ』という曲で同様の手法が取られている。

(男性)
彼女の寝息を確かめた後
部屋を出て夜を吸い込んで
「戦争が起きたらどーしよー」とか
脈絡のないこと考えてた

どうやら男女が同棲しており、寝苦しかったのであろうか、男性だけが夜中に目覚めてしまった。起きてすぐに何らかの目的を持って部屋を出ていく。どうやら彼の寝起きはいいらしい。

部屋を出るという行為は、ベランダへ出るのか建物の敷地を出るのかどちらかなのだが、後の節を鑑みるに、どうやら彼は玄関から外へ出たようだ。

「戦争が起きたらどーしよー」と考える彼は、どこか抜けていて、現実的ではない夢想家のような性格に見受けられる。

誰も知らないところで虚しく
色を変える夜の信号は
まるで今の自分そのものだった
もたげる首の角度まで同じだった

少し歩いていたのか、アパートの外に出ただけで近くにある信号を見たのか分からないが恐らく後者ではなかろうか。対比で描かれているため、彼女と同じ信号を見たと思われる。

彼は自分を信号そのものだと言っている。自分の気持ちや態度が変わっても誰も(彼女も)知らない、気付かない(と思っている)。そんななんとも言えない彼の虚無感であったり、寂しさを表す一文だ。この彼は彼女と同棲していたとしても、どこか孤独で、1人だけの世界を形成している。

信号の首は90°曲がっている。もたげる(起こす)という表現と、角度から男性は自分のほぼ真上辺りにある月を眺めた。「夜を吸い込んで」という表現から、男性は恐らくタバコを咥えているのではないだろうか。女性がタバコを嫌いで、外で吸っているかもしれない。全く検討違いだと思うが、タバコの火が、赤信号を表しているだろうか。何にせよCDジャケットも赤信号なのだ。彼らの関係は停滞している。

予定のない今日の月の形
夜にかじられた様なそんな形
あの月は何て名前なのかな
理科の授業もっとちゃんと聞いとけばな

恐らくは深夜なので日付としては、今日と表現されている。「(眠れない)僕の今日は君(新聞屋さん)にとって昨日のこと」と同バンドの『Nice to meet you』でも歌われており、山田亮一氏の歌詞は夜から深夜にかけての描写が多く見られる。
彼には今日(明日)、予定がないのだ。

彼は見上げた月の名前を知らない。知識がない人物として描かれる。ただおよそこの月の名前を知っている人の方が珍しいのではないだろうか。知っている方を聡明だと褒める方が正しいような気がする。

(女性)
古い人形抱いたまま眠って
目が覚めたら彼は部屋にいなくて
「浴槽のお湯流したっけなー」とか
あすの朝食のこと考えてた

彼女は人形を抱かないと眠れない。安心感を抱かないと眠れない。しかも古い人形だ。1つのことに、1人の人に、固執する女性だ。

彼が玄関から出ていく音で目が覚めたのだろうか。「目が覚めたら」という歌詞のあとに、ドラムのハイハットだけになる不自然なブレイクがある。これは恐らくハイハットが、時計の音の「チッチッチッチッ」という音を表していて、部屋の静かさ、彼女の寝起きでボーっとした雰囲気を醸し出している。
(また、信号の歌詞を歌うところでスプラッシュシンバルが2回鳴る部分についても、ああ、信号が今正に黄色、赤に変わったのだろうか等と情景考えさせられるドラミングだ。)

彼が部屋に居ないことに気が付いても特に驚いた様子もない。日常的なことなのだろうと推察できる。「また、タバコを吸っているのだろうか」などと考えているのかもしれない。悪く言えば、彼はもう見放されている。

彼女は起きた後、浴槽や朝食のことを考えている。とても現実的な女性だ。非日常的な戦争を考えている彼との違いがハッキリと示されている。

守られるか無視される以外には
用途のない夜の信号は
「あーなりたくない」と想う女子そのものだった
不憫そうな姿まで同じだった

彼女は一度ベランダに出て、彼がアパートの外から眺めた信号を、(恐らく)2階から見ている。表現として「信号」は「彼」なのだから、彼女の立ち位置として、信号(彼)を見上げることはないだろう。

信号は自分のようだと受け入れた彼に対して、使い道のない(使えない)女子にはなりたくないと、そんな女性は不憫だと思っている彼女は、責任感が強く、彼に依存せずとも1人でも生きていける女性なのだろう。(しかし、彼に依存している彼女も信号になりかけている)
また、「あーなりたくない」と思っている信号は彼自身なのだ。彼女の彼への気持ちは既に薄れていることが重ねて描かれている。

星屑の点を線で繋ぐように
あなたとの日々も意味を持つかな
臥待月が出てるからでしょう
やけに叙情的になってしまうのは

しかし、彼女はまだ彼を捨てていない。彼は彼女にとっての人形だった。彼が薄汚れても、意味のない日々だと分かっていても、いつかは元通り綺麗に、意味ある日々に変わるだろうかと期待している。

彼女は臥街月を知っている。彼は知らない。
この月は8月に出る月なので、舞台は夏の夜だとここで分かる。夜中の寝苦しさに起きる2人、なぜか戦争を思う彼の理由がここで臥街月として明かされる。

(男性)
部屋に帰れば彼女はまだ眠ってて
床に落ちた台湾製のそれと目が合う

彼が部屋に戻ると、彼女は再び眠りについていた。彼とは違い明日の予定があるのだろう。しかし、彼は彼女が起きていたことさえも知らない。起きる時間も、認識も、彼と彼女は常にすれ違っている。
床に落ちていた彼女の人形と目が合う。彼は自分自身と向き合っている。

(男性の記憶)
アパルトの中の恋人達
愛し合うと云うにはおぞましいほど
醜い行為に果てた後で
ざらっとする後ろめたさはなんだろう

ここの節だけ少し俯瞰した目線になっている。アパルトの中の恋人達、と二人に焦点を当てている。恐らく男性の記憶視点になっているのではないだろうか。2人が歌詞の冒頭で眠る前の行為の記憶。

彼にも彼女にも以前のような深い愛はないのに、惰性で愛し合うという行為をする。愛している振りをする。性欲の捌け口としているような申し訳なさと、果てた後独特の心情が後ろめたさとなって現れるのだろう。彼らのすれ違いが最後に明確な何かとして描かれている。

(男性)
例えばその薄汚れた人形
ボタンの目でいつも君を見てる
君の薄汚れた人形
毛糸の唇で笑っているよ
所詮、中身はスポンジと綿だし
涙ぬぐい取るそのオンボロみたいに僕はなりたい

例えば、という書き出し振りから、人形に限らず彼は自分ではない何かに変わりたい思っている。後ろめたさを感じないような、彼女にとって大切な何かになりたい。信号ではなく人形になりたい。(shin-gouとnin-gyouで韻を踏んでいる。)人形に憧れているからMADE IN TAIWANだとも知っている。貼り付いたような、作ったような笑顔でも、ただ彼女の涙を拭くだけの存在でも、彼女の役に立つ存在になりたい。「所詮、中身はスポンジと綿」と自分を皮肉りつつも、人形を貶めているが、その人形にさえ彼はなれない。

しかし、彼は彼女にとっての人形になれたのに、或いはなっていたのに、その人形はもうベッドから床に落ちてしまっている。彼女は彼を手放している。
彼は所詮彼女の嫌いな夜の信号なのだ。いくら彼が願ったところで、彼らが愛し合うことはもう無いのだろう。

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