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夜の街を彷徨う山田亮一氏の曲たち


ハヌマーンやバズマザーズを聞いていると、夜の街を彷徨っている描写が散見される。私はこのテイストの曲がとても好きだ。
これらの曲を、夜1人「鼓膜につけっぱなしの装置」で聞きながら「現実MV化」したい。

特にワンナイト・アルカホリックはピカ1だと思う。
CDJのMOON STAGEの映像か、寺田町ディスクでライブ演奏が聞けるが、入りのギターと「演奏ハヌマーンで、『ワンナイト・アルカホリック』」というセリフだけでテンションが振り切れる。

日暮れ路面電車に飛び乗って
現実逃避を図りまして
流れる景色を見るような
窓に映る自分を見るような

目的も持たず路面電車に乗って別の街に行く。
なにも考えずボーっと窓を眺める時、目の焦点が合わず景色を見ているのか窓に映る自分を見ているのかハッキリとしない。
心を鷲掴みされる言い回しだ。

雨ざらしの学生が
笑いながら駆け抜けてく
思わず目を逸らしてしまう

ラスサビのこの部分。大学生から社会人になった頃にこの描写の解像度の高さに死にたくなった。大学生の頃は良かったなと思いながら、1人夜お酒を飲んでいるとまさに大学生が馬鹿騒ぎをしている。暗澹たる思いだ。「青春とは単なる病さ、過ぎ去りし後は平熱の戦場」とこの時に言って欲しかった。
この曲では雨に濡れたくない自分と、それを厭わずむしろそれをも楽しんでいる学生との対比が素晴らしい。自分にはない輝かしい何かを持っている学生を直視できない。「解さない価値観を持ってそうで 嗚呼なんか急に死にたくなる」

『ワンナイト・アルカホリック』は酒を覚えたばかりなので(法律によれば)20歳そこそこの年齢なのだろう。対して『ハゼイロノマチ』はカラス色のコートを着ている。スーツの上に着る安っぽい黒いコートだろう。『ワンナイト・アルカホリック』より年齢も重ねていそうな曲だ。

刺さったままの後ろ指も、唇で粉化する苦汁も
「見えてない体」にしてはもらえず、誰もかれもがそれを舐めたがる

過去のトラウマや事件を酒の肴にして飲みたい輩が世の中にはたくさんいる。この表現はバズマザーズによく登場する。
「牙を無くした狼が親しげに俺の傷の味を知りたがるのさ」
「人はどうして不幸が好きか なぜ不幸を嗜んでしまうのか 口内炎、痛いのに舐めてしまう様な 戯れに興じるのか」
不幸話を聞きたいのは最早人間の性なのだろう。

いずれ止まってしまう自分へ、誰をも逆恨んじゃ居ません様に

ハゼイロノマチの一番のキラーフレーズだと思う。いずれこのままでは止まってしまうことは目に見えているが、他にどうすることもできない。なのであれば、せめて最後は誰をも恨んではいないように、という語り手の小さな希望。同時期に出された「ヤンキーズカーシンコペーション」がヤンキーが怖いと歌っているだけなのに、「ハゼイロノマチ」は火サスティック等言い回しはくだけているようで、その本質は郷愁や哀愁といった得も言えぬ心情で溢れている。

その後に配信限定でリリースされるフール・オン・ザ・ビル(フール・オン・ザ・ヒルの捩り)では酷く簡単な絶望が歌われている。

このままカラスの餌にでもなりたい様な
誰彼構わず電話でも掛けたい様な
ゆるい絶望を持て余して手近なビルに登って31字の概括を巡らせている

しかしこれも誰しもが経験があることではないだろうか。「ゆるい絶望」と言う表現が素晴らしい。誰しもなんとなく「死にたい」と言う。この「死にたい」は「どこか遠くに行きたい」とほぼ同じ意味だ。
概括はまとめること。31字は短歌や川柳等の文字数だ。死との関連から、ここでは辞世の句だと思われる。

世界中が無様な俺を呼んでいる気がした
期待に応えてあげなくちゃ

しかしこの曲は同時期に出した『爪』と同様に前を向いている曲だ。「さぁリスタートだ」と歌う『爪』。「期待に応えてあげなくちゃ」と歌う『フール・オン・ザ・ビル』。この2曲はバズマザーズの中でも群を抜いて明るい曲だと思う。

『フール・オン・ザ・ビル』はシャッフル(所謂ハネた)ビートで展開される。『キャバレー・クラブ・ギミック』も同様だ。後ほど別ページに纏めるが、山田亮一氏のハネてる曲にはなんとなく共通点がある。

キャバレー・クラブ・ギミック 理屈っぽい性分と 妙な自尊心が邪魔で笑えもしないのさ

私もそうなのだが、頭で考えてしまうというより、その状況を俯瞰で見たときに「お前何やってんの?」と問い詰める者がいる。「頭の宮殿」では「大臣は色欲」だったり「王は自尊心」だったりするのだが、別の誰かというよりもう一人の自分(自尊心)が「いやいやそれ恥ずかしくない?」というツッコミをいれるので心の底から楽しめないのだ。

赤い目眩に揺れる摩天楼の突先が夜空を今にも貫通しそうさ

この赤い目眩はポルノ映画のタイトルなのか、山田亮一氏をして「毒」を飲んで充血した目なのか定かではないが、恐らく後者だろうと思う。酔っ払って薄目で摩天楼等の夜景を見ると、光がアスタリスク(*)のような形に大きくなり空を突き刺さんばかりになる。目が悪い人にはとても良く分かる表現ではないだろうか。その後薄めた目が開くことはなく、また路上で眠ってしまうのだろう。

居酒屋、キャバクラ、飲み屋等、悪く言ってしまえば低俗な場所を舞台に、どうしてこうも人を惹きつける曲、歌詞が完成するのか。
或いはその場所だからこそ、光る何かがあるのか。
「泥の中にいたって、俺は清潔でいたいね」

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