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心が雨漏りする日にはについて

中島らもの著書の名を冠した『バズマザーズ』の本曲は同アーティストの中でも屈指の名曲となっている。私のバズマザーズの好きな曲5傑には入るだろう。

ちなみに中島らもの著書『心が雨漏りする日には』はうつ病(躁鬱)と闘うエッセイとなっている。山田亮一氏も躁鬱だと語っていた。その苦しみを表現した曲となっている。

この曲は兎にも角にもキラーフレーズが多すぎる。メロディーもシャッフルビートにしては少し重ための、後ろノリな曲なのだが、それが歌詞に相まって素晴らしい名曲たらしめている。

無意識町に雨季を告げる溜め息の
麻酔作用で何も出来なくなる
親知らずで砂利を噛んだ日の事も
そいつのせいで遠くボヤケていく

まずもって「悲しい→溜め息→倦怠感」だけの情景を初めの2行でとてもお洒落に表現している。
しかしこの後の「砂を噛む」は誤用の意味か、正規の意味か判断がし難い。前者の場合は悔しい日々すらも溜め息で忘れてしまいそうだ、だし、後者の場合は、無味乾燥な日々でさえも溜め息で忘れそうだとなる。前者の誤用の意味の方がストンと腑に落ちる気もする。山田亮一氏は『敗北代理人』でも「代替案(だいたいあん)」をあえて「だいがえあん」(誤用だが正解)と歌っている。前者な気もするし、後者な気もする。

暁の街、唾液を吐き捨て行く
感傷にそれを付けるように
悪魔ならばケチな事は止めて、意識ごと買ってくれりゃいいのに

夜通し酒を飲んだのだろう。明け方の街で傷ついた心にツバを塗り込む。「悪魔に魂を売る」という。山田亮一氏は既存の表現や慣用句を逆にすることは度々見られる。『おー新世界』では「黙る子も泣きたくなる」と表現している。
既に信念も何もかも捨てた(悪魔が買った=悪魔に魂を売った)のだから、ついでにもうこの意識も、持っていってくれたら良かったのに、というような意味だろうか。

誰か傘を添えて どうか俺の闇を殺して
よそは三種類の猿が酷く楽しそうさ
音も無く震えるマナーモードのSOS
それをさて置かれて今日も俺は壊れそうさ

誰か心に傘をさしてくれ、俺の鬱を治してくれ、無関心(三猿)はやめてくれ、心でいくら「助けてくれ」とどれだけ叫んでも誰も助けてはくれない。そもそも声に出していないのだから、誰も気が付かない。
だから壊れそうになっても当然気付いてくれない。自分も悪いのだが、周りのせいだと言い聞かせているようだ。

「苦しみと同じだけ」って話なら
俺にもっと分け前があるはずさ
誰にだってある様な昔話で、泣いたり笑ったりできたはずさ

苦しみと幸せは最終的にイーブンに集約されるという。苦しみ50なら幸せも50。それなら俺の苦しみはどうしてこんなに多いのか。幸せの分け前はどこか。
仲間と昔話に花を咲かせるような、そんな日常の幸せはどこか。

忘れた頃「貴方宛に」と明細書の山
小分けにすりゃ暫くは暮らせる、と思うが
「保存が効かないのですぐに消費してくれ」と
無理に喉に押し込まれてヘドがこぼれそうさ

躁はいきなりやってくる。次の鬱に向けて、この気持ちの浮上は貯金はできない。平準化できない。気持ちには浮き沈みがあり、躁鬱はその振り切りが極端だ。いきなり許容範囲を超えた躁の時間がやってくる。その反動が辛い。

朝まで開いてるってだけで選んだフランチャイズの大衆酒場で
牙を無くした狼が親しげに俺の傷の味を知りたがるのさ

辛いのなら、また、暁の街を訪れるまで飲もうと、大衆酒場にやってくる。更にフランチャイズだ。安っぽさ+安っぽさ。そこへ人の不幸を酒の肴にしてやろうという輩(牙を無くした狼=負け犬)はやってくる。

昔の女を抱きたくなるより、惨たらしい程惨めな気分が
「突然ですが速報です」って云う位、唐突に俺を支配するのさ

そんな時は抗おうなんてせずに、痛みが去るのを待つしかないなら
酒でも女でも麻薬でも魔法でも、何でも良い俺を自由にしておくれ

時間が経てば鬱の周期がまたやってくる。
何でもいいからこの苦しみさから解き放って欲しいと切に願っている。

誰か傘を添えて どうか俺の闇を殺して
よそは三種類の猿が酷く楽しそうさ
音も震えるマナーモードのSOS
それをさて置かれて今日も俺は壊れそうさ

あくる朝に持て余す程の希望が溢れて
小分けにすりゃ暫くは暮らせる、と思うが
「保存が効かないのですぐに消費してくれ」と
無理に喉に押し込まれてヘドがこぼれそうさ、
おえーって

最後の「おえーって」がとても好きだ。ハヌマーンの『若者のすべて』の「ぎゃー!」も好きだ。
oh yeahかと思いきや、おえーっと歌っている。これ以上の歌詞はない。

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