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そこで笑っていたのは、私かもしれない。

先日の森さんの発言に関する一連の報道を見て。

「今の時代にあんなこと言う人まだいる? ほんと老害だわありえない」

と、まず反射的に思った。

自分の偏見で他者を「女性」と一括りにして、「話が長い」「競争心が強い」とレッテルを貼るなんて、あんまりだ。

森さんのその発言に対して、その場で笑いも起こっていたという。

全然笑うとこじゃない。その場にいた人たちも同罪でしょう。


一通り自分の中で怒った。



でも、


私がその場にいたとしたら、笑わずにいられただろうか?

その場の傍観者になることなく、差別をなくすために立ち上がることができただろうか?


例えばオフィスで明らかに差別的な発言を耳にしたとき、その発言者が自分の仕事における重要な意思決定者だったとしたら?

ずっと信頼していてお世話になっている上司だったとしたら?

隣の席で、仲のいい同僚もその発言に対して声をあげて笑っていたら?


こんな場面において、「その発言はおかしいと思う」と立ち上がれるほど自分は強くないかもしれない。そのことを思うと恐ろしいし、恥ずかしい。


「差別はいけない、不適切発言者は辞めろ」
報道を見て言うのはどんなにか簡単だろう。

目の前で差別が起こったその時に、自分はどう向き合うのか。
どうやって闘うのか。

改めて、覚悟を問われる出来事だと思ったのでした。

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