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人に流されやすいです

昔から、人に影響されやすい。

好きな本も、好きな音楽も、好きなお店も、好きな映画も、辿ってみると必ず誰かからの影響を受けている。服のテイストや文章の書き方も、長く一緒にいる人やそのとき多く触れているものに似てしまったりする。友達とルームシェアをして、方言がうつったこともある。

以前は、たとえば学生の頃なんかは、簡単に流されないような揺るぎない何かを持ちたいと思っていた。「人の影響を受けやすいこと」はその対極にあって、なんだかダサい気がしたので、あまり大きい声では言いたくなかった。


だけど今は、影響されるってめちゃめちゃ素敵なことじゃないか、と思っている。だって、誰かの影響を受けたおかげで、好きなものや新しい世界の見方がどんどん増えていくのだ。


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何年か前の新緑の季節に、当時ルームシェアをしていた友達とピクニックをしたことがある。彼女はなぜか「公園でラザニアを食べたい」と言い、朝から気合いを入れて小麦粉を炒めはじめ、ホワイトソースからラザニアを作った。

できあがったラザニアは大きな布で包んで、手で持ったまま、歩いて代々木公園に行った。半袖でも汗ばむくらいに暖かい日だった。フサフサの緑の上にレジャーシートを敷いて食べたラザニアは、思わず2人で「やばい」と言ってしまうほどにおいしかった。

それ以来、春になると、ラザニアが食べたいなあと思う。新緑の季節に、小麦粉を炒めてホワイトソースを作って、大きな風呂敷にラザニアを包んで、広い公園に出かけたい。


オセロの白と黒がひっくり返るみたいに、何の思い入れもなかった食べ物が、くるっと“好きな食べ物”になる。もちろん食べ物に限らず、そういう瞬間がたくさんある人生は、なんだかすごく豊かだなあと思う。


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それに、誰かが好きなものを同じように好きになる、じゃない影響の受け方だってある。


友達に、ある映画を勧められたことがある。「すごくおもしろかったから見て!」という言葉を信じて、早速TSUTAYAで借りて見てみたのだけど、なんとものすごくつまらなかった。

だけど、私はその映画を“好き”と言える。おもしろくないのに好き、なんて矛盾しているかもしれないけれど、「熱烈に勧められてその日のうちに見たのにすごくつまらなくて、次の日に『微妙だった』と話して映画の趣味の合わなさに2人で笑った」という全部のエピソードを引っくるめて“好き”なのだ。

もし自分でその映画を発見して見ていたら、「つまんなかったな、好きじゃないな」で終わっていたかもしれない。だけど、大好きな友達が勧めてくれて、それに流されてみたからこそ、今でも思い出せる温かいものとして残り続けているのだ。


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誰かとの思い出に紐づく“好き”がたくさんある世界は、楽しい。それに、内面から湧き出るもので構成された“自分”よりも、これまでに出会ったいろんな人のエッセンスが少しずつ配合されてできあがった“自分”のほうが、よっぽどオリジナリティに溢れている感じがする。

しかもその配合比率は、誰ともかぶることがない唯一無二のものだ。それってすごく素敵なことだ。


だからこれからも、胸を張って「人に流されやすいです」と言って生きていこうと思う。好きなもの、どんどん教えてください。


あしたもいい日になりますように!