得意を自覚する、というやさしさ

あなたの得意なことはなんですか? と聞かれて即答できる人って、どれくらいいるんだろう。


最近立て続けに、「あなたは、自分のどんなところが(他人から)評価されていると思いますか?」という質問を受けた。これをサラッと答えるのは、すごくむずかしい。

だけど最近、自分の評価ポイントを知っておくことは、大人のたしなみの一つだなあと思うようになった。

「いやいや、長所なんて……」と謙遜するよりも、「私はこれが得意です」と堂々と言える方が、ずっといい。


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ちょっと話は飛ぶけれど、確定申告がめちゃめちゃ苦手だ。こまごました経費をメモするのは面倒だし、レジでもらったレシートはすぐ捨てたくなってしまうし、excelやアプリで入出金を管理するのも億劫すぎる。(一度だけ家計簿アプリを試したことがあるけれど、数日で使わなくなった)

一方で、みーさん(夫)は、そういう事務処理が得意だ。経理の仕事をしていたことがあるので、レシートの管理とかexcelでのお金の管理とか、あんまり苦にならないらしい。


だらだらとレシートの整理を先延ばしにする私は、みーさんから見ればものすごくだらしない女だろう。だけどみーさんは、「こうしたらいいんじゃない?」と言いこそすれ、「どうしてできないの?」とは絶対に言わない。

それはひとえに、みーさんが「事務処理が得意な自分」をちゃんと自覚しているからだなあ、と気づいた。

自分の得意なことをわかっていると、同じことを上手にできない他人に対して「どうしてできないの?」という感情を抱かないのだ。それはつまり、他人の「できない」にやさしくなれるということだ。


たとえばみーさんが、自分の“得意”を自覚していなかったとしたら。

「どうしてできないの?」
「努力次第でできるようになる」
「“できない”じゃなくて“やる”んだよ」

みたいなことを言われていたのかもしれない。

まあ、そういう意見も、わかる。正論かもしれない。けど、“できる人”にそれを言われるのは、つらいときだってある。


「あなたができないんじゃなくて、私ができるだけだから」と言われるほうが、ずっとずっと救われるなあ、と思うのだ。


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自分の“得意”を自覚しておくことは、ときに誰かを救うやさしさになり得る。

なにも、「国内では誰にも負けません!」なんていう大げさなものじゃなくていい。

恋人よりは私のほうができるなーとか、クラスでは、家族の中では、部署では、私が一番得意かもな、くらいでいい。

餃子をうまく包めるとか、メールを打つのが早いとか、写真うつりがいいとか、暗算が正確とか。それくらいでいい。


「私はこれが得意」を一つでも自覚していると、ふしぎと他の人の“得意”も見つけやすくなる。

そうすると、自分の「できない」にも、他人の「できない」にも寛容になれる。ごちゃっとした劣等感に苛まれずにいられる。つまりはなんだかいい感じになる。


不必要に謙遜しないで、「私はこれが得意、あなたはこれが得意」と、お互いの長所をフラットに認め合えるのがいい。そしたらきっと、お互い気持ちいい。

大人のたしなみとして、「私はこれができます」をちゃんと答えられるようにしたいなあ、と思うのです。


ちなみに私の得意なことは、毎日機嫌よくいることです。

あしたもいい日になりますように!