人生を変えない「タラレバ」を大事にしたっていいじゃないか
人生を変えていたであろう「タラレバ」を、誰しも持っている。
「センター試験でAとB散々迷った末にAを塗りつぶしたら、その1問のせいで足切りを食らった」とか
「どうしても断れず気乗りしない合コンに行ったら、今の夫に出会った」とか、
「Bを塗りつぶしていれば」「合コンに行かなかったら」
そんなパラレルワールドを想像させる「タラレバ」を、誰しも持っている。
反対に、今の自分を何ひとつ変えないだろう「タラレバ」だってある。
***
あのとき私は11歳か12歳で、小学6年生で、友達と家でかくれんぼをしていた。
鬼が数を数える間、幼なじみの男の子と2人で押入に隠れて息をひそめた。
誰かが「もういいよー」と言った。
沈黙。
「ねえ、キスしたことある?」
暗がりで、突然彼は聞いてきた。いつもの「お前さー」みたいな空気じゃなかった。
「あるよ」
嘘をついた。12歳女子のかわいらしい見栄だ。
「どんな感じ?」
「うーん…」
「うれしかった?」
「うーん…別に…」
そこで、鬼が押入の扉を開けた。
私たちはいとも簡単に見つかった。
あのとき鬼が見つけに来なかったら、
逆に、もっと早く見つかってたら、
「キスしたことある?」に「ないよ」と答えていたら、
別に何も変わらなかっただろう。
私は幕張にある中学校に入学して、高校ではチアダンスで全国大会を目指して、
池袋の大学を出て渋谷のPR会社に就職していただろう。
iTunesに入ってる音楽も、本棚にある本も、リップの色も、何も変わらないだろう。
今住んでいる場所も、今周りにいる友達も、今の仕事も。きっと何も変わらない。
あの子は私のことを好きだったんだろうか。それは思い上がりだろうか。どっちだろうと何も変わらない。
だけどどうかな。
あのときの「タラレバ」で世界線がほんのちょっとズレていたら、
今日の帰り道は、別の考えごとをしながら歩いたかもしれないな。
チャンポンじゃなくてラーメンを食べて帰ったかもしれないな。
人生は1mmくらい、何も変わらないように見える誤差の範囲で、横に動いていたかもしれないな。
その程度だ。
そんなどうでもいい「タラレバ」を、
5月の夜風がふわっと思い出させるような、人生を何も変えない「タラレバ」を、
大事に持っていたっていいじゃないか、と。
そんなことをふと思ったのでした。
初夏ですね。
あしたもいい日になりますように!