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ふるさとについて

“地元の友達”がいない。

学区外の中学へ入学したので、地元の友達とは10代のうちに縁遠くなってしまった。中3の春に、小学校の同級生何人かで集まったのが最後だ。

そして、“上京”を経験したことがない。

実家は千葉県で、東京まで電車で30分ほどで行ける場所にある。これといった特徴のない、埋立地のベッドタウンだ。自分の意志で「東京に行くぞ」と決意することを上京と定義するのなら、私にとって東京は「総武線に乗っていれば勝手に着く場所」で、東京で働くことも一人暮らしをすることも、ただのだらっとした流れであって“上京”ではないのだ。

だから、地元にほとんど愛着がない。


お盆休みに大荷物を携えて、電車や飛行機を乗り継いで実家に帰り、久しぶりに会う地元の友達といつもの居酒屋で一杯……みたいなシチュエーションに憧れる。うれしそうに地元への愛を語る人を見ると、いいなあと思う。


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話は変わるが、私の母は転勤族の家に生まれた。

小学校が3、4回変わり、行く先々でうまく馴染めなかったりいじめられたりした経験から、「子どもは絶対に転校させない」と決めたと、いつか話してくれた。(私はそのことば通り、一度も転校を経験せずに大人になった)


母は、私が中学にあがるとき、地域の和太鼓クラブに入った。20年近く経った今もまだ続けている。地元の夏祭りでは、ヤグラに登って太鼓を叩いている。今では団体の中でもかなりの古株で、どうやら子どもたちや若手の育成もやっているらしい。

転勤族だった母に「ふるさと」はないけれど、千葉のあの街はもうその役割を担っているんだろうなと思う。ふるさとは、言い換えれば「居場所」だ。居場所は、大人になってからだってつくることができる。

ふるさと=子どもの頃に過ごした場所、と思いがちだけど、そうとも言えないよなあ。大人になったら、自分のふるさと、つまり居場所は自分で決めればいいのだ。と、母を見てふと考えた。


お盆なので、なんとなくふるさとについて考えてみました。眠い。

あしたもいい日になりますように!