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出会いよりも再会がほしい

きのうの夜は、会社を出たら細かい雨が降っていた。

寄り道した渋谷センター街の地面はつやっと湿っていて、電飾やら街頭ビジョンやらの明かりがその上にギラギラ重なり合っていた。

下を見たら、お気に入りの革靴のつま先に水しぶきが飛んでいた。ああスニーカーにすればよかった。めずらしくいやなことがたくさんあったから、スクランブル交差点のスターバックスに寄って、あたたかいカフェモカを買った。

外に出たら、交差点は赤信号だった。雨は強くも弱くもならなかった。傘を買わなくても大丈夫そうだ。

若いサラリーマンが、地下道に続く階段の入口で友達と談笑しながら、「失って初めて気づくんだよ、大切なものは!」と叫んだ。


傘がでこぼこと折り重なる交差点で、周りをぐるんと見てみた。

誰も知らなかった。

360°見渡しても、誰も私を知らなかったし、私は誰も知らなかった。

世界一の人数が集う交差点と呼ばれるここは、どこからかやってきて、どこかへ去っていく人々が一瞬交差するだけの場所だ。


学生時代のバイト先は渋谷、新卒で入社した会社も渋谷、ベトナムを経て今の職場もまた渋谷。ずっとここにいるような気がしていたけど、そんなことはなかった。

私もみんなも、この場所に出たり入ったり、ときどき少し長めにとどまったり素通りするだけだ。

今ここで生まれているのは間違いなく“出会い”だけど、それだけだ。


この100人だか200人だかの組み合わせで、この横並びの順番で、今ここにいるメンバーがスクランブル交差点にふたたび集うことはきっともうなくて、それは「だからこそ出会いはかけがえのないものだ」と言い換えることもできるけれど。

いや、私は再会がほしい、と思ったのだ。

信号が青になったら、向こう側から知った顔が偶然に歩いてきて、「え、久しぶり。元気?」という、小さい火が灯るような再会がほしいと思ったのだ。


青になった。がやがやと、知らない国のことばと、笑い声と、街頭ビジョンのやかましい音楽と。

向こうから歩いてくるのはみんな知らない人たちだった。


***
今日は帰る途中で、10年来の友達とラーメンを食べた。

歩いても歩いてもお店がどこまでも続いているから、渋谷で行くのはいつも初めての店だ。今夜一度だけ行く店、今日一度だけすれ違う人たちと、10年ずっと一緒にいる友達と。

それを分けるものは一体なんだろう。

ラーメンを食べて、すこし歩いて、どうでもいい話をして、駅の前でバイバイと言った。ふと新しい音楽が聴きたくなって、渋谷のTSUTAYAに寄り道した。それから1階のスターバックスに寄った。目的があった。ささやかな再会がほしかったのだ。

カウンターの中では7,8人のスタッフさんが動き回っていて、その中に1人だけ、きのうも見た顔があった。某スポーツ選手に似ているポニーテールの女の子。


私たちきのうも会いましたね、と心の中で言った。心の中だけに留めることにした。

きっとこの子も、少しだけここにとどまって、いつかどこかへ行ってしまうんだろうと思った。もう会わないかもしれない。

レジに並ぶ列のうしろは男の子2人組で、「美容院で髪切ってスタイリングしてもらったときの髪型って、微妙じゃね?」「わかるわー」とか、そんな話をしていた。知らない人だった。カウンターの中にいる1人以外は、みんな知らない人だった。

今日もスクランブル交差点の入口に立つ。

木枯らし一号が吹いたらしい今日は、景色がパサついて彩度が低くて、きのうの雨の景色のほうがよかったなと、なんとなく思う。


街頭ビジョンの赤いデジタル文字は「9℃」を表示していて、そこから視線を信号にうつす途中で、ハチ公広場のケヤキのてっぺんが紅葉していることに気づいた。もうすぐ冬が来る。

2年間日本を離れていたから、冬の入口は久しぶりだ。

同じような乾いた風にあたって、同じような角度から渋谷駅を眺めたことが、いつかあった気がする。思いがけないささやかな再会だ。

季節がきちんと巡る星に生まれてよかった。


明日会う人がいて、明日じゃないけどいつかまた会える人がいて、毎日同じ家に帰ってくる人がいる。

約束はしていないけど、たぶんそうなると思う。


出会いよりも再会がほしい。

明日こそ渋谷の雑踏の中で、知っている誰かに会えたらいい。

(2016.11.9)

あしたもいい日になりますように!