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「きっときみは来ない」のあとに残るもの

山下達郎の「クリスマス・イブ」を聞いたアメリカ人が、「結局来ないんかい!」とツッこんだ。

というエピソードを聞いたことがある。(本当かどうかはわからない)
昔は今くらいの時期によくこの曲を耳にしたけど、平成28年にもなればもうそんなこともないのだろうか。

冒頭のツッコミに対して、ツッコみ返したい。「だって、来ちゃったら歌にならないじゃん」

「約束はきちんと守りなさい」「遅れるときは連絡しなさい」

そうやってしつけられた。正論だ。

だけど私は、果たされなかった約束を持ったまま死にたい。約束をやぶった相手を責めるでもなく理由を追究するでもなく、空想の余白を残し続けたい。きちんと果たされた約束だらけの世界なんて、きっと息苦しくて仕方がない。

果たされた約束や叶った夢は、ただの現実だ。ただの現実だから価値がないというわけではないけれど、少しくらいファンタジーにひたる時間だってほしいのだ。

現実は、守らなきゃいけない納期やドタキャンが許されないアポで溢れているから、せめて少しくらい、果たされない何かがあってもいいと思う。

私が「クリスマス・イブ」の主人公だったら、きっと想像するだろう。出かける直前におなかが痛くなったのかもしれない。もしかしたら、自分が帰った5分後に、待ち合わせ場所に来ていたのかもしれない。待ち合わせ場所を間違えていたのかもしれない。直前まで、行こうかどうか迷ったのかもしれない。別の誰かと会っていたのかもしれない。

もしかしたらいつか、街中でばったり会うかもしれない。そうしたら、「どうしてあのとき来なかったの」と聞いてしまおうかな。できれば冗談ぽく笑って聞きたいけどできるだろうか。

もしあのとき、あの人が来ていたら、何を話しただろうか。会った瞬間にどんな顔をしただろうか。どんな服で来ただろうか。もしあの人が来ていたら、今、どうなっているだろうか。今も一緒にいるのだろうか。

『彼女 ドタキャン 理由』でググっても、本当のことなんてわからない。だけどその代わり、想像することができる。どうしてどうしてどうして、と考えて、いくらでも理由を思いつくことができる。そうやって、果たされなかったいつかの約束をきれいなファンタジーに昇華して一人愛でる時間が、私は決してきらいじゃない。

一度だけ、待ち合わせの相手が現れなかったことがある。約束の時間になっても来なくて、ずっと待っても来なくて、あれ時間を間違えたかな、そもそも今日じゃなかったかな、忘れてるのかな、事故にあったかな、と考え続けて夜は更けた。そのとき気づいたのだけど、私はその人の電話番号もメールアドレスも本名も知らなかった。

だから何だ、というわけじゃない。待ってた時間を返せ、とも今さら別に思わないけど、ただ「そういえばどうしてあのときあの人は来なかったのかな」とときどき思い出す。

「守った約束」「叶えた夢」がギチギチに詰まった世界よりも、隙間のある世界がすきだ。果たされなかった何かも、ちゃんと愛して生きていきたい。

(2016.11.30)

あしたもいい日になりますように!