「あした晴れたら電話するね」くらいの見通しで生きたい
2年前、結婚式の乾杯の挨拶を伯父さんに頼んだ。
父の兄。私の実家の隣町に住んでいる。人が好くて、誰かをだましたりズルく立ち回ったり、そういうことができない人だ(たぶん)
電話で正式に依頼をすると、「挨拶文を考えるにあたって今のちひろちゃんのことを聞きたいから、どこかでもう一度、30分くらい電話をしてもいいかな?」と、伯父さんは言う。いつ頃がいいですか?と聞いたら、「こういうおめでたい話は、晴れた日の朝にしよう」と返ってきた。
「明後日の朝10時」とか「週末の夜」とか、そういう答えじゃないのが、伯父さんの素敵なところだ。
次の日は快晴で、約束通り午前中に電話がきた。
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小学生のころ、学校から帰ったら、放課後遊ぶ約束をしていた友達から電話がかかってきたことがある。
「なんか、行きたくなくなっちゃった」
おなかが痛い、くらいの嘘をつけばいいのに、正直すぎる。
だけど、今振り返ると、すごく健全でいい。
それでこそ、人間のあるべき姿だ。
誰かとゆっくり話がしたいとき、つい「明日の19時に渋谷で」とか「週末ランチしよう」とか、深く考えずに言ってしまう。スケジュールに心も体も合わせるのが当たり前になっているけど、それってなんだか本質的じゃないよなあ。
だって、私たちの気持ちやことばはナマモノなのだ。
全部スケジュールに合わせられるわけがない。心は秒ごとに移ろって、時に大きく揺らいで、いつだってまっすぐ進むことができない。
「晴れた日の朝に電話するね」とか「あした夕焼けがきれいだったらデートしよう」とか、そういうナマっぽい約束をしたい。「悲しい夢を見たから仕事休もう」とか、その程度の見通しで生きたい。最近きっちり生きすぎている。
あしたもいい日になりますように!