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引っ越し前夜の日記

はじめての引っ越しは、社会人になりたてのころ。実家を出て、西荻窪で一人暮らしを始めたときだ。

父と母に手伝ってもらいながら、エレベーターなしの4階まで汗だくで荷物を運び、無事に搬入が終わったはいいものの、いざ2人が「じゃあね」と帰っていくと何をすればいいのかわからず途方にくれた。夜は段ボールをテーブルにして、具のないインスタントラーメンを鍋のまま食べた。


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明日、あのときから数えて6回目の引っ越しをする。

荷物を詰めるのはだいぶうまくなった。キッチンはまだまったく片付いていないけど、たぶんなんとかなる。たぶん。洗面所の鏡の裏、ベランダ、トイレの上の棚。片付けを忘れがちなスポットだってちゃんと把握している。

門前仲町にあるこの部屋は、ベランダのすぐ下に見える桜並木が気に入って借りた。はじめて2人で家具をそろえて、ヤフオクじゃなく家電量販店で、ファミリーサイズの冷蔵庫や洗濯機を選んだ。ホームセンターで買ったミニトマトやゴーヤは、陽当たりのよすぎるベランダですぐに枯れた。リビングから寝室にぬける風が気持ちいい部屋だった。


引っ越しは卒業に似ている。

どちらも、それまでの日々を一旦「思い出」として切り分けるための儀式だ。

生まれてから死ぬまで“私”は陸続きだから、うれしいことも悲しいことも、きっかけがないといつまでもずるずると引きずってしまう。だから、一度これまでを「思い出」としてパッケージングするきっかけがほしい。そのために卒業や引っ越しがある、と思う。


「思い出」という箱に詰め替えられた過去は、すこし距離をおいて眺めることができるからいい。あのときは大変だったなあとか、楽しかったなあとか、映画を観るみたいなまなざしで振り返れるからいい。

だから引っ越しが好きなのだ。

こういう変化のときがあるから、ふつうの日常もけっこういいなあと思える。これからも、ときおり起こる変化は、日常を愛するためのものであったらいいなあと思う。あたらしい生活もたのしみです。

あしたもいい日になりますように!