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“変わらない”だって、尊い

新年のタイムラインは、“変わりたい”の決意であふれている。

今年は、こうなりたい。今年は、これがほしい。「今までと違う場所に自分を連れていくぞ」というエネルギーを、そこかしこから感じる。


東京は、あなたはこの1年でどんな変化を遂げますか?を常に問うてくる街だ。「変化 or Die」を強いられている気さえする。

私も、東京の真ん中で暮らす者のはしくれとして(もともとの性分もあるけれど)、急流に身を置くのはきらいじゃない。社会に出てから仕事を3回変え、住まいは7回変えた。

変わることにいちばんの価値があると思っていたし、変わるためにそれまで大切に持っていたものを捨てたっていいと思っていた。


だけど、変化の渦に貪欲に飛び込んでいけるのは、寄る辺としての“変わらないもの”があるからこそだと、最近は思う。


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「人は“旅人型”と“ホーム型”の2種類に分けられると思うんです」と言った知人がいる。

前者は、変化をもとめて今いる場所を飛び出し、あたらしい景色や人に出会うことを生きる糧とする人。
後者は、その地にゆったりと根を張り、旅人たちが帰ってきたときの拠り所となってくれる人。

両者は敵対するのではなくて、支え合って補いあう。

旅人はときに羽を休めるホームが必要だし、ホームはあたらしい風を吹き込む旅人を必要とする。お互いがお互いにとって、なくてはならない存在なのだ。
つまりはこれが、変化する者と変化しない者の関係だなあと思う。


しょうもない思い出話を肴に、いっしょにお酒を飲んでくれる友だち。何度観ても、「いいなあ、好きだなあ」と思える映画。子どもの頃と同じ味のごはんを出してくれる家族。

人は、たくさんの“変わらないもの”に支えられて生きている。
渦に放り込まれて自分の輪郭がゆらいだとき、その輪郭をしっかりと撫でて「あなたはここですよ、こんな形をしているんですよ」と示してくれる誰かに支えられて生きている。


そして、変わらないものがあるからこそ、私たちは変化の軌跡を見ることができる。

母校の教室の狭さを見て、伸びた身長を実感してみたり。昔はつまらないと思った小説で大泣きして、自分に新しく足された感情に気づいてみたり。

ものさしがあるから変われるのだ。変わるものの対岸には、いつも変わらないものがセットになっている。


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いつだってスポットライトがあたるのは、変化を遂げる側だ。

“変わる”が発するエネルギーは、力強くてまぶしくて、つい目を奪われてしまう。その対岸にいる“変わらないもの”が、日陰で黒子に徹していることには、なかなか気づけない。


私はというと、やっぱり未だに“変わる”側に軸足をおいて生きていきたいなあと思っているけれど。

だけどせめて、自分の寄る辺として存在するホームの温度を、ときどきは手のひらで確かめたい。人の大きな変化を目の当たりにしたときは、その陰で支えになっている“変わらないもの”の存在に想いを馳せたい。

それから、「変化 or Die」の圧力に流されそうになったときは、いつだって反芻したい。“変わらない”ことだって、ちゃんと尊いんだよ。

あしたもいい日になりますように!