見よぼくら一銭五厘の旗 23 Chihiro Bekkuya 2018年8月15日 01:33 2年前、「暮しの手帖」の創設者・花森安治さんの展覧会で、『見よぼくら一銭五厘の旗』という文章に出会いました。本を買って、一部書き写してみました。美しい夜であったもう 二度と 誰も あんな夜に会うことは ないのではないか空は よくみがいたガラスのように透きとおっていた空気は なにかが焼けているような香ばしいにおいがしていたどの家も どの建物もつけられるだけの電灯をつけていたそれが 焼け跡をとおして一面にちりばめられていた昭和20年8月15日あの夜もう空襲はなかったもう戦争は すんだまるで うそみたいだったなんだか ばかみたいだったへらへらとわらうと 涙がでてきた どの夜も 着のみ着のままで眠った枕許には 靴と 雑のうと 防空頭巾を並べておいた靴は 底がへって 雨がふると水がしみこんだが ほかに靴はなかった雑のうの中には すこしのいり豆と三角巾とヨードチンキが入っていた夜が明けると 靴をはいて 雑のうを肩からかけて 出かけた そのうち 電車も汽車も 動かなくなった何時間も歩いて 職場へいった そして また何時間も歩いて家に帰ってきた家に近づくと くじびきのくじをひらくときのように すこし心がさわいだ 召集令状が 来ている でなければ その夜 家が空襲で焼ける どちらでもなく また夜が明けるとまた何時間も歩いて 職場へいった死ぬような気はしなかったしかし いつまで生きるのか見当はつかなかった確実に夜が明け 確実に日が沈んだじぶんの生涯のなかで いつか戦争が終るかもしれない などとは夢にも考えなかったその戦争が すんだ戦争がない ということはそれは ほんのちょっとしたことだったたとえば 夜になると 電灯のスイッチをひねる ということだった たとえば ねるときには ねまきに着かえて眠るということだった 生きるということは 生きて暮すということは そんなことだったのだ 戦争には敗けた しかし 戦争のないことは すばらしかったさて ぼくらは もう一度倉庫や 物置きや 机の引出しの隅からおしまげられたり ねじれたりして錆びついている〈民主々義〉を 探しだしてきて 錆びをおとし部品を集め しっかり 組みたてる民主々義の〈民〉は 庶民の民だぼくらの暮しを なによりも第一にする ということだぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつかったら企業を倒す ということだぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつかったら政府を倒す ということだそれが ほんとうの〈民主々義〉だ政府が 本当であろうとなかろうと今度また ぼくらが うじゃじゃけて見ているだけだったら七十年代も また〈幻覚の時代〉になってしまうそうなったら 今度はもう おしまいだ 今度は どんなことがあっても ぼくらは言う 困まることを はっきり言う 人間が 集まって暮すための ぎりぎりの限界というものがある ぼくらは 最近それを越えてしまった それは テレビができた頃からか 新幹線が できた頃からか 電車をやめて 歩道橋をつけた頃からか とにかく 限界をこえてしまった ひとまず その限界まで戻ろう 戻らなければ 人間全体が おしまいだ 企業よ そんなにゼニをもうけて どうしようというのだ なんのために 生きているのだ 今度こそ ぼくらは言う 困まることを 困まるとはっきり言う 葉書だ 七円だ ぼくらの代りは 一銭五厘のハガキで 来るのだそうだ よろしい 一銭五厘が今は七円だ 七円のハガキに 困まることをはっきり 書いて出す 何通でも じぶんの言葉で はっきり書く お仕着せの言葉を 口うつしにくり返して ゾロゾロ歩くのは もうけっこう ぼくらは 下手でも まずい字でも じぶんの言葉で 困まります やめて下さい とはっきり書く 七円のハガキに 何通でも書くぼくらは ぼくらの旗を立てる ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない ぼくらの旗のいろは 赤ではない 黒ではない もちろん 白ではない 黄でも緑でも青でもない ぼくらの旗は こじき旗だ ぼろ布端布をつなぎ合せた 暮しの旗だ ぼくらは 家ごとに その旗を 物干し 台や屋根に立てる 見よ 世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ ぼくら こんどは後へひかない(花森安治『一銭五厘の旗』より)一戔五厘の旗www.amazon.co.jp ダウンロード copy 23 あしたもいい日になりますように! サポート