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“家でひとり読書”だって立派な予定である

「孤独と静寂を大事にしなさいよ」

6,7年前、真夜中に乗ったタクシーの運転手さんに、こんなことを言われた。

「忙しく働いたあとには、海で一人泳ぐとか、喫茶店で読書をするとか、自分の内にある孤独と向き合う時間をつくらなきゃだめだよ。そうしないと、心の泉が枯れるよ」

ずいぶんと詩的な言い回しをする人だった。今でもときどき、「孤独と静寂」ということばを思い出す。


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今日の世界は男に対しても、女に対しても、一人になることの必要を認めないのである。これは考えてみれば、不思議なことである。


アン・モロウ・リンドバーグの著書『海からの贈り物』を読んでいて、また久しぶりに“孤独と静寂”について考えた。

アン・モロウ・リンドバーグは、世界で初めて大西洋無着陸飛行を成功させたチャールズ・リンドバーグの妻、だそうだ。自らも飛行家として活動しながらも、作家として数作のエッセイを遺している。

彼女についての知識はまったくなかったけれど、須賀敦子さんや小山田咲子さんなど、好きなエッセイストが軒並みこの本を勧めているので、「これは!」と手にとった。

1955年に出版された本なのに、「煩雑な現代文明の中でわたしたちはどう考え、どう生きるべきか」というテーマは、今にも十分通じるものがある。いくら文明が発達しても、人の本質はそうそう変わらないものだなあ、と思う。


この本のなかで、一人になることについて語られている章がある。


用事で人に会うとか、パーマネントを掛けにいくとか、お呼ばれとか、買いものとか言えば、相手は納得するが、もしその時間は自分が一人でいることにしているからという理由で相手の申し出を断れば、そういう人間は礼儀を知らないか、我がままか、変っているということになる。


この部分はまさに、「それな!」である。

“一人でいたい”は、人の誘いを断る理由にしづらい。わたしたちは、一人でいることをなんとなく寂しいことだと思ったり、予定が埋まっている手帳のほうがいいように感じたりする。


「あしたの夜、暇?」と誘いを受けたときに、「一人で本を読む予定がある」と答える人は、あんまりいないんじゃないだろうか。

「ゴールデンウィークなのに家で一人でDVD見てる」と、いかにも寂しいことをしているかのように言ってしまうことはないだろうか。


一人になることが何かいけないことになっていて、そのためにはお詫びをしたり、口実を設けたりして、自分がしていることが恥ずかしいことででもあるようにそれを隠さなければならない我々の文明というのは、なんと奇妙なものではないだろうか。


考えてみれば、家でひとりコーヒーを飲むのだって、考えごとをするのだって、本を読むのだって、Netflixでドラマを見るのだって、立派な予定だ。

忙しい毎日のなかで“心の泉を枯らさない”ためにも、なくてはならない時間だ。

人に囲まれてわいわい楽しむのもいいけれど、「あしたは一人で本を読むから」と誘いを断る日があったっていいと思う。というか、あるべきだと思う。


我々が一人でいる時というのは、我々の一生のうちで極めて重要な役割を果すものなのである。


ゴールデンウィーク、誰かとの約束に駆り立てられやすいときだからこそ、一人でぼーっとする時間も大事にしたいなあと思ったのでした。

“孤独と静寂”を守れる大人になりたい。

あしたもいい日になりますように!