似ても似つかないはずの夫と父親が似てきた…
ここ最近、数年前に74歳で亡くなった父親の姿と現在69歳の夫の姿が重なって見える。
父親が生きていたころには思いもしなかったことである。比較したことさえない。
それなのに。
気が滅入るといってしまえばそれまでだが、もっと複雑な気持ちがある。
高校生ぐらいのころから父親のもの言いがうっとうしいと感じていた。何につけ、決めつけ・断言が多く、明らかに間違った内容や勘違いなのに、したり顔でしゃべるのである。
家族はみな相手にもせず無視していたが、気にする風もなく、勘違いとまちがいの決めつけを続けていた。
高齢になっても相変わらず、ニュースなどを見ては、父にはわかるはずもない国際事情や国家予算のことで世の中の人を罵倒していた。
年寄りの言うことなので目くじらをたてる気分でもなく、内心苦笑して適当に相槌などをうっていた。あれほど忌み嫌っていた父の決めつけ・断言なのに、やはり年寄り相手だと自分も寛大になるのか…と不思議な気分だった。
あれから10年近く経ち、父とは似ても似つかないはずの夫が父と似てきているように感じる。
元々断言癖はあった。自分が見たことをすべてと思う傾向、自分が知らないこと、理解できないことはバカにする傾向は確かにあった。苦笑もののヘンテコな論理を披露することは多かったが、元ネタがわかっていたので、適当な相槌と無視でやり過ごしていた。
年を取ってそういう傾向が先鋭化されたのだとは思う。ただ、やはりなんだかキツネにつままれたような変な気分である。
夫の年寄り特有のひどい決めつけに気が滅入るのは確かだが、それ以上に、では、私は母親にそっくりになってきたのか?という憂いが大きい。
しかし母は私が中学生のころに40代で亡くなっている。母は生きていたら私みたいな中高年女性になっていたのだろうか?
母には嫌いなところがいっぱいあり、それは子どもへのかかわりの部分である。それ以外のところは嫌いであっても基本無関係なのでどうでもいい…
母の子どもへのかかわりで、いやだな~と思うところが、本当に嫌なことだけど自分にもあって、凹む。
こういうのは逃れられないのだろうか。
夫の父親同質化が気が滅入るだけではなく、いろんな複雑な思いがからむのはここである。
自分は母親の嫌な部分を引き継ぎつつ、世間一般の高齢女性のいやなところも引き受けていかなくてはいけないのか…
いや、それはなにも運命ではない。
いろんな高齢女性を見てきたが、みなそれぞれである。似た部分は当然あるが、それ以上に差異が大きいと感じた。
実際昨年96歳で亡くなった祖母は母とは全くことなるタイプだった。
母が同じ年まで生きていたとしても、あんな風にはならないだろうと断言したくなるようなタイプだった。
今ここで未来の自分に恐れおののき、凹んで気分を暗くしていてもどうにもならない。
夫の決めつけには閉口することがしばしばだが、いずれ苦笑しつつ受け入れられる時がくるのだろうか…
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