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¥1,000の価値って

今回、一日一無駄のきっかけとなった最近のできごと。

6歳の娘が先週末、自分のお小遣いでロールケーキを買ってくれた。

というのも、

その前週に実家に帰って田植えのお手伝いという名の
泥遊びを、娘は存分に堪能し
両親はかわいい孫たちに「お手伝いありがとう」と
お小遣いを¥2,000ずつくれた。

お金の価値がまだ十分に理解できてない6歳の娘、
もらったおこづかいは今まで母に「貯金するから」と巻き上げられてきたけど

今回は自分で自転車に乗って自分の好きなお菓子を買いに行きたい!と言い出した。

良かろう。

娘のそんなかわいい願いに母である私も同意して
一緒にスーパーに行ったら、100円足らずのラムネを選んで

これにする、これをお兄ちゃんたちと一緒にワケ分けする。

とレジで精算。

もらったお小遣いから千円札を出したら、900円以上の小銭がもらえて
そんな当たり前の結果が、多けりゃオールオッケーの娘には驚くほどうれしいことで

わあ、こんなにある。500円玉まである!

と目を輝かせてた。

はじめて自分のお小遣いで選んだ自分のおやつ。
と、1枚の紙幣からなぜかじゃらじゃら出てきた小銭たち。

彼女にとって初めてのお小遣いとお買い物は、たまらなくハッピーで
その様子は私が見ててもそれはそれは幸せな光景だった。

私自身、幼少のころ同じようにおばあちゃんからお小遣いをもらったり
お年玉をもらうと、もれなく母に「貯金するから」と預けるのがルールで
それが当たり前で、そしてそれが良しと思ってきた。

まだお金の価値が分からないうちは、持たせないがヨシ。
怪我をしたら困るからハサミ使わせない、の感覚と似てる。

こうして私の貯金信仰は育まれ、脈々とこのお金に関する感覚を子どもたちにも、それはそれは当たり前のこととして刷り込んできた。

でもね、

それから娘は

「ここにあるあとの¥1,000は、ママの好きなもの買いに行こう。
 ママのいちばん欲しいもの。何がいい?」

と聞くのだ。

¥2,000のうち、¥1,000ってば半分だよ?本当にいいの?

何度聞いても娘の回答は一切の迷いもブレもなく
「いいの、ママの欲しいものを買いたい」
と、言うのだ。

モンブランにしようかな、
シュークリームもいいね、

娘とワクワク考えながら、でも
ママひとりで楽しめるものより、せっかくならロールケーキにして
家族みんなで食べよう、と結論が出た。

ケーキ屋さんで、お財布から千円札を出しながら
ごめんけど、足りないぶんはママ出してくれる?
と小声で聞いてくる娘が愛おしくて

ケーキ屋さんから出て、それはそれは大事そうにケーキの箱を抱え持つ
娘が愛おしすぎて

私は久々に母性が溢れて息苦しいほどだった。

その夜、今日は娘ちゃんのお小遣いでケーキを買ってもらったんだよ、
と息子たちや旦那さんに伝えてそのケーキを切ったとき
家族みんなに「ありがとう」と言われたとき

娘はたまらなくハッピーな顔で笑うのだ。

美味しいね、美味しいね、
何度も何度もそう言いながら私の顔を見て
まるでニコちゃんマークみたいな笑顔で私を見つめるのだ。

彼女のそのこの世でいちばん幸せ、みたいな笑顔を見ていたら

お金って使ってはじめて生きるものなんだ、と
これまで「説」としては認識していたことがビビビッと自分の中で
「事実」として繋がった。

年収とか、収益とか

いくら稼げて、
いくら自由に使えて、
いくらストックできるのか。

いつかのために「ストック」って不可欠で
いつの頃からか、その「ストック」がすべてみたいになっていて
銀行にある「ストック」が自分の価値の一部のようで
それを増やすことの必要性に駆られてた。

とくに、子どもができてからは余計に。
家族を守るためにもお金を守ることは必要不可欠、と信じてた。

だから、よりコスパのいいものを探し出そうとするし
同じものを手にするならより安く、を重視。

でもね、今回娘は自分のお小遣いを半分費やしてでも
私をはじめ家族に喜んでもらう、ってことを選んだ様子を見ていたら
お金って使うひと、使う心持ちで価値がまるで変わるものなんだと痛感した。

彼女にとってはお小遣いが半分になろうが
その瞬間のみんなの笑顔と感謝が得られたこと、
そして家族にとっても、娘がそんなことをしてくれたという幸福感がいっぱいで
もうその¥1,000は、その何倍にも価値が上がっていて

所有や貯めておくことで自分の安心感を得るよりも、いちばん使いたいところへお金を投入することで、娘の株ったらうなぎ登りで、

それがまた、娘自身それを願っていないからこそ、周りの心を打つ。

最近ケチが加速してた私は、娘にものすっごく大事なことを教えてもらった。

たかだかお金に、どれほど囚われてきたんだろう。
たかがお金、されどお金だ。
でもそのお金に、必要以上の価値を付けて、だからこそ自分を縛り、守ろうとしてしまってきたんじゃないかな。

お金は使ってこそ価値が生まれて

その価値は自分の本心から願う使い方をするからこそ、より意味があって

損得勘定じゃない、
自分の欲してるものに惜しげなく投資するからこそ

自分も、周りもハッピーなのだ。

そう、だから私は一日一無駄で
まずは自分の欲望に素直になるところから。

娘よりずっとずっとスタート地点にハンデがあるけど
でもきっとできる。

私だって昔は、娘のように無邪気に欲しがり
与えたり与えられたりすることにもっと素直だったんだもん。




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