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さっさと幸せになればいいのに

3次元空間で生きている私たちは
生まれた瞬間から
常識・教育・世間体などなど
一定の型という枠の中に無意識に埋め込まれて育てられている。

でも、県や国をまたげば
その習慣や常識に大きな違いがあることから
どれが正しいということではない、ということに気がつくでしょう。

ということを踏まえて
同じ国の中であっても
同じ地域であっても
そこに集まってくる人たちは
それぞれ違った環境で育ったもの同士の集合体。

であるなら、物事に関する考え方や習慣が違って当たり前よね。

もっと細かいことを言えば
生まれてきた瞬間から、それぞれ個性を持って生まれてきているし
誰一人として、自分と人同じ人はいない。

子供を育てた経験がある方なら
より理解できると思うけど

自分のお腹の中から生まれた子どもなのに
自分とは全く価値観の違う異星人だし

一人目の子、二人目の子、同じ環境で育てたって
食の好みが違う
センスが違う
感性が違う

こんなことは当たり前で
それに戸惑うことはよくあること。

私も娘と息子を育ててきたけど
同じ環境で育てて同じもの食べさせてるのに
好みや性格が全く違ったので
こうも違うものなのね・・・と驚きの日々でした。

ってことはですよ、
ある枠を基準にして同じように育てることにそもそも無理があって
その枠にはめることで、それぞれが持っている個性を潰してしまう

そう思ったのですよ。

それぞれに合った生き方があると。

たとえそれが私の希望に沿わなかったとしても
それは私の個人的な価値観であって
本人にとってそれが幸せと感じるかどうかは別の話。


でね、ここからは親の立場としての話なんだけど
子どもには、親の望みとは違う生き方を選んだとしても
罪悪感を持って欲しくないなって思うんです。

よく親に心配かけたくないからって言って
自分の望みに蓋をする人がいるけど
でもそれは絶対に違うと思っている。

これはね親になったからこそわかるんだけど
もし私の子ども達が、私に心配をかけまいと
本当にやりたいことを我慢するとしたら
それは絶対にやめてほしい。

それは子どもたちの
本当に望む人生を生きていないことになるから。
誰かのために生きるのではなく
自分のために生きて欲しい。


私自身、親が心配するからという理由で
本当の望みを選択していなかった時期はとても長く。。。

だからその期間は、本当の自分じゃないから
生きていてもつまらなくて。
結局本当の自分じゃなかったんだって
後から後悔してるのよね。

でもね、今思うと
「親に心配をかけたくない」というのは
チャレンジしなくても済む
ていのいい言い訳だったなーって。


「心配かけたくない」という言い訳を作って
本当はそれに伴う責任を負いたくなかったってこと。
挑戦することで起こるネガティブなことを
受け止める覚悟がなかったってことだし
結局の所、変化を求めず
楽な方を選んだってことなんだよね。


親が心配するようなことは絶対にしないと決めて
(親によっては心配の度合いが違うけど)
その人生を送ることだって
別に悪いことではないと思ってる。
その人がそう決めたならそれもOKよね。

『判断基準が外』と決めてそういう人生を送るのもよし。

でも、そう決めたなら愚痴っぽいことは言わないと決めることよね。
じゃないと結局、いつまでたっても
他人のせいにする人生になっちゃって
人生台無しになってしまうものね。

どちらにしても覚悟を決めて選択すれば
人は幸せになれるのよ。

『決める』って大事だと思う。
なぜなら
決めた人には、漏れなく幸せが付いてくるからね^^
これマジほんと♪

さっさと決めて幸せになろう♪


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