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父へ




と書き落ち着いたのでこの話をしようと思います。
プライベートな内容だしダラダラ書きそうだからもう一つの活動のブログアカウントから。

この日大好きな父が天国へ旅立ちました。
ひでさんと12日用事があり普段なら待ち合わせるのにこの前日は珍しく一緒に実家へ。
ぐっすり睡眠中電話が。
父の呼吸が浅いとのこと。
今までもこういうことはあったのでまた同じだと思っていましたがなんか嫌な予感もしました。
信じられないけど嫌な予感は的中してしまったのです。
ただ父は眠ってそのままだったので苦しまなくて本当によかったです。
こんなに早く逝くとは思いもしませんでした。
なんだかんだ長生きすると思ってました。
亡くなってから葬儀まで涙が枯れるくらいたくさん泣きました。
が、前に進んでないと心配すると思い私もひでさんもメンタルはやられながらも最小限の忌引でお互いの行くべき場所へ行きやるべきことをしました。

今年4月くらいから入院が増え「痛い」とか話してたから辛かったと思うし聞く側も辛かったけど闘病で我慢したタバコもお酒もきっと今楽しんでるのかな?と思います。


うちのひでさんは撮り鉄だけど、父もかなりの撮り鉄だったから今は孫といろんな電車をやっと見にいけるね。

その4月の入院前は特養にいて退院後は特養には戻れず療養型病院にいました。
何度も頑張った父だからまた特養に戻れると思ってました。



私はもう一つの活動でたくさんの良い仲間に会えてこの爪も若いのに頼り甲斐があって仲良くしてくれてる『ルクミ』さんにお願いしてました。
特養に戻れると思ってたしコロナで面会してなかったから気づけなかったけどせめてキレイにできることはしてあげたかったし面会の理由になるし。
でもそれも叶わずでした。
『ルクミ』さん、せっかくお願いしたのに申し訳ない💦

話は変わりますが、父は私の学生時代、旅行を含めいろんなところへ連れていってくれていろんな経験をさせてくれました。
クラシックが好きでいろんな音楽を聞かせてくれて小さい頃からピアノを習わせてくれたり。
楽器やいろんなジャンルの音楽に興味をもつようになったのは父のおかげだと思ってます。
たまにふざけてでも怒ると怖い威厳ある父でした。
入院前はFJTのSEとして働いてて結成したばかりのサッカーチームの応援に行けたり父なりの教育で私は小さな頃からワープロやpcに触る機会が多く今も役立ってます。
反抗した時期もありましたが親に反抗できることはとても幸せなことだとつくづく思います。
一緒に洗濯しないで!と言った時ももちろんありました。
お父さんごめんね。

お酒が好きなので私が成人したら一緒に飲みに行くのが夢でしたがその夢は高校卒業した年の秋に叶わないものとなりました。
左脳が脳梗塞、右脳が脳腫瘍になり全く治療が違うらしいのでまずは小さい脳梗塞の治療に。
そんな大変な中ではありましたが、いつも朝早くに仕事に行って夜20時くらいに帰ってくる父が家にいるのでとても嬉しかったのを覚えてます。
3カ月して脳腫瘍の手術に。
もう肥大しすぎて脳が痛んでしまって痛んだ脳を取る手術もして1日がかりの大手術でした。
でも強い父ではあったので片麻痺が残り手が拘縮し片目が見えなくなったり聞こえにくくなってもしっかり退院できました!
入院中に「誰?」と言われたこともありました😢

私が大学の頃で収入源だった父の給与がなくなり家計がやばいのでは?と思い中退しましたがそれはあくまで私の言い訳や逃げでせっかく入学させてくれたのに最後まで奨学金とか給付金とかで卒業すればよかったと今でも後悔してます。

そこからたくさんの施設をまわりました。
また歩くためにいっぱいリハビリをしてました。
ひでさんに会うこともできました。
片手で大好きなカメラを撮ったり絵を描いたり一生懸命やってました。

父が私のスマホで撮った最後の写真です。



当時2001年、私が知ってる父は学生時代18年間の健常者の父とそのあとこんにちまで出来ないことが増え葛藤しながらも命を燃やし生きてきた22年間の障がい者になった父です。
いっぱい辛かったことがあっただろうにいっぱい頑張ってくれました。
感謝です。

強く見せてても弱いところがあった父、今空から見えてる世界は施設に入る前の2001年とは全然違います。
当時docomoのNシリーズのパカパカの携帯が出始めた時でしたが今やスマホです。
通勤もsuicaなどのICカードです。
便利になりすぎた世の中が怖くないか?迷子にならないか?なんてよくわからない心配もしましたがきっとおばあちゃんがしっかりしなさい!なんて言いながら迎えに来てくれてるかな?なんて考えたりもしました。

葬儀の前の日の空はとても綺麗でした。
獅子座流星群がピークの日でした。
流星群の流れとともに旅立ちです。


葬儀の日は11月にしては暖かく過ごしやすい1日でした。
父に手を合わせることになるとは、、と思いましたが無事仏の道を歩む準備ができたので旅行に行くのがワクワクするように悲しむのではなく前向きな気持ちで送ることができました。

父の子でよかったし今世がもう無理でもまた来世やその先で絶対会いたいです。
今私がもらった父の遺影写真は玄関にあります。
毎日バタバタ出て帰ってくる私とひでさんが行ってきます。ただいま。が言えるように。

76年間お疲れ様でした😊
たくさん思い出を作ってくれてありがとう。

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