会えなくなった人
後輩が亡くなっていたことを知ったのは、今年に入ってからのことだった。亡くなったのはもう随分前で、私の友人たちも知らなかった。
まだ若く、これからという時に、思いもよらぬことで命を失った。
とてもショックだった。
後輩は、ツンデレというのか、ある人から見れば「可愛げがない」と評されるような人だったが、単に人見知りなだけで、慣れてくるとかわいい一面も多く見られる人だった。
恋人の話をする時には無邪気に幸せそうに笑う、かわいらしい人だった。
私が仕事を辞めるとき、手作りのカードとお菓子をくれて、その心遣いが何ともかわいらしいな、と思った。
後輩が、その後結婚したことを知ったのは、今年。
私は、亡くなったことと、結婚していたことを同時に知ったのだ。
どうして、なんで。
人の生は、他人によって奪われてはならない、という意識は頭の片隅に存在している。
けれど、それが現実に起こってしまって、それがもうどうしようもなく過去の出来事になっていることを知ったとき、どうやって気持ちの折り合いをつければいいのだろうか。
生を奪った側の都合や理由が、ニュースや報道で流れる。事故ならば、事故原因、そうでないなら動機。
普段テレビをつけていて、なんとなく聞いていたことが、そうではなくなっていた。
そして、そんな理由で、と思った。
日々忙しなく過ごしているなかでも、ふと後輩のことを思い出すことがある。
そんなとき、自分の気持ちとどうやって向き合えばいいのかわからなくなる。
後輩とのトーク画面はまだ残っている。
でも、もう永遠にやりとりすることはできない。
貰ったメッセージカードを見ながら、月命日に祈りを捧げる、そんなことをしながら、自分の様々な感情を抑え込む日々が続いている。
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