2022.3.12 PTD LIVE VIEWINGのキムテヒョン

何を書いたら良いか言葉を選んでしまう。
なぜなら、その色気があまりにリアルだったので下手するとただの官能noteになりかねないからだ。約2年前にmagic shopで見たようなあの妖精性の代わりにテテは人間性の最高イケメンオーラを獲得した。だから、その容姿を本能に任せて下品に描写して誉めたたえようとすると、おひねりを握りしめたただの下世話な客になってしまう。でもテテの価値はそこじゃない。確かに彼の真価は「エロス」だけれど、トータルな価値は「LOVE」だ。テテはLOVEで覆われたエロスなのだ。

月光の下で星のかけら達とダンスをしていた妖精が、とうとう人間の姿を借りて聴衆の欲望を満たすために我々の前に降り立った。そんな感じ。上品さと人間の欲望の際どいその境目。手が届かない高貴な希少性があるのに、目が覚めたら隣で眠っていそうな現実性もある。そんなすれすれの、人が1番望む恋人の姿を持つテテだから、彼のピュアさを壊さないように、昨日見たリアルな色気を描写するのは難しい。

どこかでピュアだから。マドンナ・チッコーネではなく、マリリン・モンローなのだ。

以前は、「風」とか「月」とか「星」とか「太陽の光」、雪や天体や木々の隙間から溢れる光や鳥のさえずり、クマさんや青いオウムなどで描写することが出来たテテの世界が、今、その形容はナチュラルなキムテヒョンの私生活[インスタで見るテテの世界]の方へと流れていき、聴衆の前へ現れたVは、生身の人間の欲を満たす現実的なオーラを持ち始めた。でも、だからと言って手が届くわけではなく、むしろ絶対に届かない。だから憧れずにはいられないし、どこかにあるテテのピュアさと静けさのせいで、そこに近づくには一筋縄では行かなず、神秘のベールが行く手を阻む。

この2年間、LIVEがほとんど無くなってしまっていたために、「V」よりも「キムテヒョン」でいる時間が長く、じっくりと素の自分と向き合う時間があったのだろう。きっと、Vではなくキムテヒョンとして存在する方がデフォルトになっていたのかもしれない。素のキムテヒョンはこんなにセクシーなのだ。ある意味「V」よりも本能を刺激する。「V」は非現実な夢の中の妖精のようだったから。それはそれでとても好きだったけれど。

今回の約2時間半、前半は「キムテヒョン」、中盤は「V」、後半は「テテ」のように感じた。以前はステージ上で「キムテヒョン」の色気が現れた部分はあまりなかったように思う。

ARMYに会えない期間を経て、キムテヒョンとしての色気も加わった今回のステージは、とても貴重な、私の中で忘れられないものになったし、恋焦がれて苦しい、新しい沼の入り口となってしまった。

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