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藤井風の半目に宿る色香と見果てぬ世界への橋渡し

風さんは見ている。油断してはならない。半目になっても見ている。白目になった時はもっと油断してはならない。

風さんの半目に見果てぬ世界の色香を感じたのはいつだろう。あれだ、パナスタの「まつり」の最終部分のメロディーフェイク。あの、上がる花火をバックに風さんも上へ上へと登り、自分が花火の如く炸裂してしまう高度な「Ah〜」の時。

あの場面が好きで、繰り返し繰り返し何度も見ていた。そして気がついた。

「...見ている」

風さん、見ている。一見いっけん目を閉じて官能的にメロディーフェイクをかましているようで、目が閉じ切って無い。うっすらミステリアスにどこかを見ている。何かを考えている。やや右に移動している黒目。色っぽい。

パナソニックスタジアムでの「まつり」

ちょうど、feelin’ good日産スタジアム後の感想を風友さんと交わしている中で、「かなり昔のLIVEで、最前列の超神席のファンの方が風くんの眼球がすごい動いてて驚かれていたコメントがあった。」と教えて頂き、風さんの謎めいた瞳の有り様に合点がいった。

多分風さんは「酔っぱらう」という事がない。と言ってもむろん酒の話ではない。何かに心酔して我を忘れる事がないのではないだろうか。自分に酔っているように見せかけて、実はさほど酔っていない。頭の中では至って冷静に自分を客観視し何かを論理的に組み立てている。それを無意識レベルでやってしまっているように見える。

「ライブでは神様に自分の身体を貸す」というような事を話した事もあったが、貸せてないと思う(めっちゃ失礼)。だってあれはまごう事なき藤井風だ。彼にしか出せない色味だ。神様に色気があったら困る。あれは生まれたままの藤井風だ。
あ、生まれたままの藤井風の事を「自分の中の神様」と言っていたのかな。なるほど。神様イコール降りてくる内なる自分、だもんね。 
「貸せてないと思う」と書いたのは、「神様よりも藤井風に会いたい」という、恋心ゆえのオタクのわがまま発言なのだが、でもそんな私も本当は分かっている。風さんの言う「神様」はみんなの中にある愛だと言うことを。そしてもし本当にそうであるなら、私は風さんの言う神様に会いたい。

そして、風さんはおちゃらけた直後に突如「スンッ」とアンニュイな真顔になる時がよくあるが、あれが「自分に酔ってない」証拠だと思う。切り替えが早い。我に帰るのが早い、というか、最初から我に返っている。

もう全てがサービス精神。自分自身が酔うためではない。見ている誰かのためだ。ただ、もうみんな風さんが面白い人なのは重々分かっているのでそろそろそこまでお笑いをしなくても良いと思うが、いまだに変な風を教えようとしてくれる。そこが可愛いのだけれど。

ってちょっと話しがずれたが、今回私が言いたいのはその面白さじゃなくて、色っぽさの方。
半目から覗く藤井風の休まない思考。藤井風の神秘的でミステリアスな世界の入り口。目は完璧にどこか幸せな世界を見ている。

この眠らない黒目に気がついた時、インディジョーンズ博士が荒れ狂うジャングルの奥地で清らかな秘宝の玉を発見したかのような、心の底から湧き上がる身震いと感動を覚えた。

宝石や!黒い秘宝や!この宝さえあれば魅力的な世界にワープ出来るんや。このつまらない現世からオサラバや。われはもう風の世界へ行く。風と一緒に行く。

私の中のインディ博士は関西弁。

風さんの桜色のまぶたの隙間からアンニュイに揺れる黒い秘宝を発見したことにより、風さんだけが見ている楽園が、半目が指し示す方向に、確かにそこにあるような気がした。そして、その世界から匂ってくるミステリアスな香りにやられた。藤井風を作っている世界が、あの黒目が眺めている方向に確かにある。幻の国の存在を発見したようで嬉しかった。

なぜ半目への思いが強くなり、今回こうして書くまでに至ったかというと、feelin’ good日産スタジアムに行く事ができ、ナマカゼのオーラとカリスマ性を目の当たりにしたからだ。半目になった時に出るパワーの威力がとてつもなく凄かった。半目の時、あの風さんのすぐ側にいたらどう感じるのかな。ダンサーさん達に聞いてみたいです。

今回、半目になる場面が多かったように思う。
ちょうど「藤井風が白く発光している!」と界隈をざわつかせていた日産スタジアムの奇跡の風さんだったので、もしかしたらパナスタ時よりも秘宝寄りのカーゼだったのかもしれない。ここぞとばかりに半目の風さんを凝視した。うん、黒目はちっとも休まない。絶妙に何かを思慮している。

遠目から見たら一見、目を瞑って自分の歌に酔いしれているかのように見えるかもしれんが、いやいやいや、フェイクの長さも完璧に計算されているし、何より、風さんはフェイクの時に、もうひとつの世界に移動する。
言葉が無い世界。
風さんの「Ah」の世界。

風さんは「Ah〜Ah〜」にもそれぞれ全部意味がある、と言うようなことを以前話していたが、ここはまさしく共通言語が「Ah」のみの楽園だ。その世界には苦悩も快楽も退屈も、人間が感じる感情が全てある。でも全部がポジティブで美しい世界だ。風さんのフィルターを通せば全てが美しくなる。

その楽園には本当は風さんしか行けないはずだけれど、風さんが「歌を歌う人になる」と決めてくれて、「みんなを幸せにする」と決心してくれたおかげで、私たちを歌によってその世界へ呼び寄せてくれる事が可能になった。あの「Ah」の風に乗って私たちを言語がない楽園の世界へ運んでくれる。

光り輝く黒がその世界への道筋をしっかりと指し示してくれているから、その瞳の色香によって人はおびき出され、後をついて行ってしまう。人は無理矢理説教されても変わる事は出来ないが、それが色気ならたちまち我を忘れて、苦痛なく言う事を聞ける。自分を省みる事が出来る。それを出来るのが藤井風の凄いところ。誘われた色香の先にあるのは自堕落や怠惰ではなく、まさかの清く正しい世界なのだ。人々にそれをやってあげられる事が出来る、選ばれし者だなと思う。

でも忘れてはならないのが、風さんはあくまで楽園への道案内をしてくれるだけで、そこからその楽園をどう自分の現実世界に還元して行くかは自分次第だし、自分の努力次第だ。風さんは、自分がみんなの面倒をその部分まで全部見られないのを全部分かっている。だからみんながしっかり自分の足で歩けるように、言うべきこともちゃんと言う。風さんにはそういう厳しさもきちんとあるでしょ?そこが好きだ。ただ単に耳障りの良い優しい言葉を言ってファンを甘やかすのではなく、自律へとうながし、一人じゃないよ、いつも繋がっているよと癒しと元気を与えてくれ、きちんと生きて行けるように道案内とアドバイスをしてくれる。これこそが真の優しさだと思う。

その程よい距離感があるからこそ、逆にずっと一緒に居られるし、手の届かない切なさも感じる。

Fujii Kaze ピアノ・アジアツアーの時に、ファンに語りかけ、笑い、愛を説く風さんを見て、「うんと年下だけれど、父親みを感じることがある」と呟いたファンの方がいた。確かに。ピアノと共にいる時の風さんには、人が想像する理想の父親像(全てを受け入れてくれる頼りたい理想の相手)のような、とんでもなく大きな包容力を感じることがある。愛そのものだ。

今回の日産スタジアムのライブでは、風さんがピアノとともにいない場面でも、とんでもなく大きな愛が体から発せられていた。あの白色の発光は、エゴが混ざっていないピュアな愛の光の集合体だったのではないかと思う。ピアノが風さんの体の中に入っちゃったと思った。

こんなふうに描くと、何やら神格化してるのではないかとつっこまれそうだが、そうではなく、私が言いたいのは「カリスマ性がある」と言う事だ。それも尋常じゃないくらいに。

道が分からなくなったら、それは簡単な事で、歌を聞けばいい。半目の指す方向を向けばいい。

だから私はこれからも半目ハンターハンターになる!

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