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高橋メアリージュンの認識は過去のもの、変異株で「マスク着用基準」は変わった

下記の記事で高橋メアリージュンのインスタグラムの発言に関してコメントしたが、

これは・・・言うと反発食らうなあ。高橋メアリージュンのインスタグラムの表現も実に巧妙で、一見、反論すると袋叩きに合いかねない。しかし、あえて書かないと。

似たような考え方で彼女を見る人もいてホッとした。

鼻までマスクを覆うと酸欠状態になって頭痛になったり苦しくなる」は呼吸の浅い人の場合、不織布マスクだとその通りです。「でも皮膚が過敏症の方だったり、呼吸が浅くて他の体調不良を引き起こしてしまう事実、私も知らない他の不具合があると思います」などと高橋メアリージュンは言ってますが、一工夫して、

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こういう製品も使ってみたらどうなのかなあ?

高橋メアリージュンの認識は過去のもの、変異株で「マスク着用基準」は変わった

政府が繰り返す緊急事態宣言も抑止力にならず、感染力が強く、重症化しやすい新たな変異株が全世界で次々と発生し、日本でも市中感染が拡がっている今、「新型コロナウィルス感染対策」についての見直しの必要性が求められている。

そんな中、モデルで女優の高橋メアリージュン(33)がマスク着用ルールに対しての持論をインスタグラムで発信し、一時は彼女の名前がトレンド入りした。

マスク着用に関する是非といえば、昨年9月に航空機内でマスクを拒否し、今年5月も飲食店にマスクを着用せずに入ってトラブルになり、店の業務を妨害した上、止めに入った客らを殴り逮捕された「マスク拒否男」こと、奥野淳也被告(34)を思い出す。

そして高橋メアリージュンの主張がどんなものかというと「『マスク装着してない方は入店できません』『マスクは鼻までしっかりと覆って下さい』と、当たり前になっているマスク装着によって皮膚が過敏な方、酸素不足で体調悪くなってしまう人たちが、入店できないなどの制限を受ける世の中はどうなのか?」というものだ。

そして高橋はマスク反対派ではないとしつつも、「大人が作った空気で、国内のコロナ感染で死亡率がほぼ0%と言われている子供たちが今からマスク漬けで他の病気にならないか心配です」とも慮った。

■大人が作った「空気」ではなく命を守るための選択肢

高橋の主張に対し、「難しい問題である」という前提はもちろんありながらも、ネットでは<変異株が流行しているこの状況下で今更「マスクをつけない権利」を主張するのは普通に無い><みんなしたくてしてるわけじゃないのに、クレーマーみたい>と、手厳しい意見が目立った。

確かに彼女の気持ちも理解はできるが、マスク装着が当たり前になっている世の中に対しての「違和感」は正直感じない。なぜならそうしなければ、命の危険があるからであり、命を守るという選択肢以外に、私たちが選ぶべき選択肢はなく、そしてそれは大人が作った空気というよりも、命を脅かすウイルスに対しては当然の措置と言えるからだ。政府が中等症以下の新型コロナ感染者の入院抑制を決めてから、首都圏には入院したくてもできない患者があふれかえっている。医療逼迫によって感染がそのまま重症化、場合によっては死に直結しかねない事態になってしまっているのだ。

前述した奥野被告同様、「自分の過ごしやすい世界」を誰もが求め出したら、この世は破綻してしまうだろう。コロナは確実に命を脅かすウイルスであり、「誰もが過ごしやすい世界」「みんなの命が守られる世界」のためには、大なり小なり我慢するのは「共生」に身を置く私たちの世界では避けて通れない

そして高橋の主張は、あくまで店を利用する側だけの意見であり、お店側、働く側の立場を一切、無視してしまっている。もしマスクをせずに入店し、お店側が適切な感染対策をしておらずクラスターが発生し、感染経路の追跡が困難な場合には、感染拡大防止の観点から店舗名を公表するという「晒し者」扱いを受けてしまいかねない。それが店にとってどれだけの損害に該当するのか?という視点がないからこその主張であると感じる。

■子供の感染への認識のアップデート

厚労省検疫所によると、感染力の強い変異株の感染力(実効再生産数)は従来よりもはるかに高い1.5~1.7倍程度とされ、子供も大人同様に感染してしまう。仮に、子供の死亡率が低くても、感染していたら誰かに感染させてしまいかねない。そうした観点からも子供のマスク着用は、十二分に必要だろう。

スーパーなどで買い物している時、マスクをつけていない子供が走り回っているのをたまに見かけるが、「子供は感染しない」「子どもは綺麗だから大丈夫」という変異株が登場する以前からアップデートされないままの認識の親たちも多いと感じることもある。

変異株が登場し、コロナウィルスに関する情報もアップデートしていっているのならば、迎え撃つこちら側の「認識」もアップデートしていかねばならない。

「権利」を主張するのは自由だが、その主張を「拒否」する権利もまた存在している。未曾有の困難に立ち向かっているからこそ、「共に生きていく」ために今一度、それぞれの「認識」を見つめ直すべきだろう。

フランク・ロイドのエッセイ集


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