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夜学/Naked Singularities Vol.1開催レポートその4 只管打坐・只管打算

世の中には様々な仕事がありますが,自分でやったことのない仕事の中身はよくわからないものです。僕たちの仕事である「研究」もまた,そうしたものかもしれません。研究にもいろいろありますから,分野によって仕事の進め方もいろいろです。僕は物理学者ですが,普段僕たち物理学者が研究室の中で何をしているか,想像がつくでしょうか?

物理学も広いので,研究室ごと,研究者ごとに研究の進め方は違ってきます。「夜学/Naked Singularities」では,僕らが普段どんなことをやっているのかを「展示する」というパフォーマンスもいくつかありました。その一つが「只管打坐・只管打算」です。

僕は物理学の中でも理論を専門としていて,研究室の学生たちとも理論をメインとした研究をしています。学生の興味ごとに,ブラックホール班,宇宙論班,数理物理班,メタマテリアル班の4つのグループに分かれています。このうちメタマテリアル班だけは実験的な研究を行っています。

さて,理論物理学の研究ではたくさん計算をします。計算にはシミュレーションなどの数値計算も含まれますが,小林研では手計算をすることの方が多くあります(数学の証明などは手計算でないと難しいですし,実験やシミュレーションの場合にも手計算でないと物理的本質が引き抜けないことはいくらでもあります)。計算の中には面倒なものも多く,結果を一つ出すまでにA4用紙に何ページも計算することはざらです。

「只管打坐・只管打算」では,そんな普段からの計算を実際に目の前でお見せしました。今回は学部4年生の1人が,ブラックホールに関する相対性理論のある計算を行い,1時間半という決められた時間の中で結果を出せるかどうか,試みました。

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今回挑戦したのは,あるブラックホール解から別の解を「生成」するというもの。専門用語がいくつか出てきたので説明しましょう。

よく知られているように,ブラックホールとは光ですら吸い込まれると脱出できないような領域のことで,大きさには様々なタイプがありますが,典型的なものに星がその一生を終えたときにできるものがあります。太陽は,およそ 2 x 30乗 kg,すなわち 2000兆 x 1000兆 kg もの質量を持ちますが,この値の30倍以上の星が一生を終えると,ブラックホールになると考えられています。

ブラックホールが存在すると,その周囲の時空は激しく歪められます。ゴム膜の上に石を置くと膜が曲がって窪みができますが,ブラックホールによって時空が歪められるのはちょうどそのような状況です。ただしゴム膜の表面は2次元ですが,ブラックホールがある歪んだ空間は私たちが住む3次元空間(4次元時空)です。ブラックホールの周りでは光の軌道も時空の窪みにそって曲げられますが,その様子はゴム膜の上でビー玉を転がすと,窪みに沿ってビー玉の軌道が曲がるのと同じです。

ゴム膜に置いた石が軽ければ窪みは浅く,逆に重い石を置けば窪みは深くなります。ブラックホールも,質量が小さければ周囲の空間の歪みも小さ,質量が大きければ周囲の空間の歪みも大きくなります。物質があるとその周囲の時空がどのように歪むのかを求めるには,一般相対性理論の基礎方程式であるアインシュタイン方程式を使います。ブラックホールがあるとき,その周囲の時空の歪み方はアインシュタイン方程式を解けば得ることができます。

一番簡単なタイプのブラックホールは,ボールのように球対称な形をしていて,回転などはせず,じっとしているタイプのものです。これはシュヴァルツシルトブラックホールといい,その周囲の歪んだ時空はシュヴァルツシルト時空と言います。アインシュタイン方程式を解いて得られる,この歪み方を表す数式がシュヴァルツシルト解です。具体的には下のような方程式です。

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球対称で動きのないブラックホールが存在する時空を表すシュヴァルツシルト解に比べ,一定の速度で回転しているブラックホールに対応する解であるカー解はだいぶ複雑です。具体的には下のようになります。

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この解には 「a」という文字が入っていますが,これがブラックホールの回転の大きさを表す量です。試しに a をゼロにしてみるといくつかの項が消え,数式が簡単になります。少し計算してみるとわかりますが,a をゼロにするとその2で紹介したシュヴァルツシルト解に一致します。カー解は回転しているブラックホールに相当しますから,回転をゼロにすれば止まっている解,すなわちシュヴァルツシルト解になるのは理にかなっています。

アインシュタイン方程式を解きカー解を導くのも,シュヴァルツシルト解を導くのに比べるとだいぶ面倒なのですが,面白いことに,シュヴァルツシルト解からカー解を機械的に導いてしまう方法があります。それは直接アインシュタイン方程式からカー解を導くより簡単で,その方法は Newman-Janis trick と呼ばれています。method(方法)ではなく trick という言葉が使われていることからわかるように,この方法を使うと「なんだかよく分からないけれども欲しい解が求まってしまう」というところがあります。

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只管打坐・只管打算では,小林研の4年生がこの Newman-Janis trick を使って,シュヴァルツシルト解からカー解を導く計算を実演しました。制限時間は1時間半。途中経過を時々実況しながら,参加者の皆さんと計算を見守りました。

ブラックホールを直接手に取ることはできません。そしてブラックホールの理論である相対性理論は私たちの身体的直感とはだいぶ乖離しています。「計算」は,そうした「非日常」について納得するための強力な武器です。計算を通じ,体を少しずつその世界の「ルール」に慣らしていくのです。

計算を担当した学生,実はこの日初めて Newman-Janis trick に挑戦したのですが,少しずつ計算に没頭し,深く集中していく様は,まさに只管打算。只管打坐と同じく,雑念を振り払って「向こうの世界」を全身で味わっていました。その結果,見事,制限時間内に計算も終わり,会場からは大拍手!

こうして僕らがいつも行なっている「計算を通じてその世界を体感する」という営みを皆さんに見ていただくことができました。次回 Vol.2 のではさらにエンターテイメント性を高め,2人の学生による計算バトル(実況・解説付き!)をお見せしますので,お楽しみに!!!

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