【ジャズ喫茶物語り】プロローグ:とあるジャズ喫茶の朝
ジャズ喫茶、というのを今の若者は知っているのだろうか。朝の日課のコーヒーを飲みながら、窓の外の景色を眺め、ふとそんなことを思う。気づくといつの間にかうだるような夏は終わり、朝晩には虫の音が響くような時期になった。そういえばコーヒーが冷めるのが早くなってきた。
三鷹で小さなジャズ喫茶を開いて数年。自分も昔、シンガーソングライターとして活動していた。正直なところ、歌の才能があったとは思えない。家族親族の誰一人として、歌の上手い人はいないし、小さい時などは家で歌えばうるさいと母に怒られたものだ。でも、運命のいたずらが、50年以上も音楽の世界で自分を生きさせてくれた。
数年前に一線を退いたが、どうにも音楽から完全に身を離すことができないで、こうしてジャズ喫茶をやっている。演奏は、若手のミュージシャンにやってもらうことが多いけれども、気が向くと、ちょっと自分でも歌う。
自分のシンガーソングライターとしての人生は、ジャズ喫茶で始まったと言っても過言ではない。最初は新宿や銀座にあるジャズ喫茶で、コーラスをやったり、時には1曲歌わせてもらったり。
中はいつも雑然としていて、でもエネルギーに溢れていた。当時若かった自分は、そんなところに入り浸るのがなんだかカッコいいような気持ちがして嬉しかったなぁ。
それからレコードを出していくうちに、だんだんとテレビや大きい劇場での仕事が増えていって、ジャズ喫茶で歌うことはほとんどなくなってしまった。そしてジャズ喫茶という場所も、時代の流れとともにだいぶ減ってしまった。
音楽活動の中では、賞をいくつかもらうこともできたが、音楽への向き合い方にはいつも悩んでいた。ちゃんと勉強したわけでもないから、どこか引け目があった。どこかでちゃんと勉強しなきゃ、と焦るうち、あっという間に三十路を過ぎていた。
そこで出会ったのが英国人の前妻である。彼女とは仕事の一環で出会ったが、互いに惹かれあった。有名な映画に出ていた女優だったから、当時は付き合いがちょっとした話題になったものだ。
彼女と一緒になって、日本を離れて色々勉強するのもいいかもな。そんなふうに思った。
かくして彼女とはアメリカで10年ほど暮らした。最初は順調だった。しかし生きるためにはやはり働かなくてはならず、私が向こうで仕事をするのはなかなか厳しかった。自分は日本とアメリカを行ったり来たりするようになり、向こうは向こうで仕事もあったから、徐々にその距離感、そして互いに仕事は捨てられず離婚を選択した。彼女との間には息子がひとり。ゆえに養育費が発生したものだから、帰国後はしゃかりきに働いた。ドラマにテレビにコンサートに、なんでも出たものだ。
そういえば最初にきちんと音楽に触れたのは、中学校のブラスバンド部だった。仲良くなった友人と少しでも長く話がしたくて、彼の所属する部活に入ったというだけの話だが。
練習するためにポケットに入れて持って帰ったピッコロ。なかなかうまく音が出なくて、もう投げ出そうとしたときに、草に寝転んで吹いてみたらピーッと大きな音がして驚いたっけ。それからはもう、練習に夢中だった。
今こうしてジャズ喫茶で時々歌う時も、思うように歌えない部分もあるけども、あのときのピッコロがピーと素晴らしい音を奏でたように、演奏と歌とが素晴らしくマッチする時がある。それはもう気持ちのいいものである。だから音楽は、やめられない。
ジャズ喫茶に始まり、ジャズ喫茶に終わる。それが私の人生なのかもしれない。
さてそろそろ、開店の準備にかからなければ。今日はどんな素晴らしい音楽と出会えるだろう。
注: 本作は実在の人物を参考にして作ったフィクションです。
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