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The Beatles デビュー60周年! 後編

ビートルズはドラマーにリンゴ・スターを迎え、2度目のレコーディングに臨みます。

その時の音源がこちら↓

全体的に、かなり改善されていますよね。
ポールのボーカルはまだ少し緊張している感じがありますが、他はかなりまとまっている印象があります。

…しかし、ジョージ・マーティンはこれでもドラミングに関して満足しませんでした。
どうやら、グループに加入してまだ2週間ほどしか経っていないリンゴのドラムが、リハーサル不足などもあって、バンドの演奏に馴染んでいなかったということのようです。

そこで、ジョージ・マーティンは新しいドラマーを自ら用意します。その名も、アンディ・ホワイト。
彼は、セッション・ドラマーと呼ばれる仕事をしていて、

そのときの演奏がこちらです。

よく聴くバージョンですよね。
ボーカルもハーモニカもドラムも、しっかりと安定感があります。
現在では、このテイクが、正式に『Love Me Do』としてリリースされています。

ここで「現在では」と書いたのは、昔は違ったからです。
実は、デビュー時のシングルには、リンゴ・スターがドラムを叩いたテイクが採用されていたんです。しかしその後、アルバム「Please Please Me」に収録されたりアメリカでシングルとしてリリースされたりした時には、アンディ・ホワイトのバージョンに変更されました。

こうして、アンディ・ホワイトのバージョンが、世に広く知られることになりました。
ちなみに、このバージョンにはリンゴ・スターも参加していて、タンバリンを担当しました。

では、このリンゴ・スターという人はこの後どうなったのでしょうか。
彼は、そのままビートルズのメンバーとしてデビューを迎えることになりました。そして、数々の素晴らしいドラミングで楽曲の良さを引き出しています。
しかし、意外なことに、デビュー曲ではドラムを叩いていなかったんです。


ビートルズ60年史

ここからは、ビートルズの60年を振り返っていきます。

60年代

1962年

ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人で、ザ・ビートルズとしてデビュー。


1963年

シングル『She Loves You』やアルバム「Please Please Me」「With The Beatles」がイギリスで大ヒットを記録。


1964年

シングル『I Want To Hold Your Hand』がアメリカでも大ヒット。世界中にビートルズの名が知れ渡る。
夏にはビートルズ初の主演映画が公開され、これまた大ヒットを記録した。

映画のプロモーションも兼ねたワールドツアーを行うなど、コンサート活動も本格化。


1965年

夏に、2作目の主演映画「Help!」が公開され、同名のアルバムも発売。

ファンがとてつもなく多くなったため、当時としては異例だった、野球場でのコンサートが行われた。

10月26日には、外貨の獲得に貢献した功績に対し、イギリスのバッキンガム宮殿でMBE勲章が授与された。


1966年

日本などを回る最後のワールドツアーが実施された。

8月5日には、革新的なアルバム「Revolver」が発売。
8月29日、観客を入れた最後のコンサートが、サンフランシスコのキャンドルスティック・パークで行われた。

キャンドルスティック・パークでの公演


1967年

サイケデリックなコンセプトアルバムとして知られる、「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」をリリース。

8月27日には、ビートルズをデビュー前から支えてきたマネージャーのブライアン・エプスタインが亡くなった。
これによって、バンドはまとめ役を失うことになる。

年末にはテレビ映画「Magical Mystery Tour」が放映されるが、評論家からは酷評された。


1968年

瞑想のため、インドのリシケシュに滞在
しかし、リンゴとポールは早々に帰国し、ジョンとジョージも予定より1ヶ月ほど早くインドを離れた。

帰国後はアルバム「The Beatles(通称 : ホワイトアルバム)」の制作に取りかかるが、メンバー同士の対立が顕在化し始め、一時リンゴがバンドを脱退する。

アニメーション映画「Yellow Submarine」が公開され、好評を博した。


1969年

1月、原点回帰を合言葉に、ゲット・バック・セッションが始まった。
ポールやジョンとの対立が原因で一時的にジョージがバンドを脱退するが、数日後には復帰。
セッションが終わった1月30日には、有名なルーフトップ・コンサートが行われた。

3月、ジョンがオノ・ヨーコと結婚。

6月、ジョンとヨーコのデビュー・シングルが発売。

秋には、名盤として名高いアルバム「Abbey Road」がリリースされた。


70年代

1970年

3月に、活動期間中に発売された最後のシングル『Let It Be』が発売。
その後、リンゴが初のソロ・アルバムをリリース。

4月10日、ポールがバンド脱退を公表し、翌週にソロ・アルバムを発表。
これにより、バンドは実質的な解散を迎えた。

5月、最後のアルバム「Let It Be」が発売され、同時に同名映画も公開された。

11月、ジョージが初のソロ・アルバムを発表。翌月にはジョンも初のソロ・アルバムをリリース。


1971年

3月、ビートルズの解散が法的に決定した。

8月、ポールがバンド「ウイングス」を結成。


1973年

4月1日、ジョンとヨーコ、架空の国家「ヌートピア」の建国を発表。

その後、ジョンとヨーコは別居を始め、1975年まで続くことになる「失われた週末」を過ごす。

また、海賊盤対策として、ビートルズのベスト・アルバム「赤盤」と「青版」がリリース。日本では、1973年度の洋楽チャートで1位を獲得した。


1976年

ジョンが音楽活動を休止し、主夫業に専念する。


80年代

1980年

1月、ポール・マッカートニーが、日本公演に大麻を持ち込み、逮捕される。その後、コンサートは全日程中止となる。

10月、ジョンが音楽活動を再開し、シングル「[Just Like] Starting Over」をリリース。

12月8日、ジョン・レノンが亡くなる

1981年

ジョージによるジョンへの追悼歌「All Those Years Ago」がリリースされる。
この曲には、リンゴがドラム、ポールがコーラスで参加しており、ビートルズ解散後初めてこの3人が共演したことで話題になった。


1982年

ポールによるジョンへの追悼歌「Here Today」が発表される。


1989年

リンゴがワールド・ツアーで来日。
これは、元ビートルズが行った初めての日本公演となった。


90年代

1990年

ポールが来日し、過去に2度中止になっていた日本公演を実施した。


1991年

ジョージによる日本公演が行われた。


1995年

アンソロジー・プロジェクト。
ビートルズ25年ぶりの新曲となる『Free As A Bird』と『Real Love』がリリースされた。


2000年代

2000年

11月、イギリスもしくはアメリカで1位を獲得した27曲が収録されたベストアルバム「1」がリリース。
世界中で大ヒットを記録した。


2001年

11月29日、ジョージ・ハリスンが亡くなる


2002年

11月、ジョージへの追悼コンサートが行われた。


2003年

リンゴがジョージへの追悼歌「Never Without You」を発表。

11月、アルバム「Let It Be」に施されたフィル・スペクターによる過剰なアレンジが削ぎ落とされた、「Let It Be… Naked」が発売


2006年

リミックス・アルバム「LOVE」が発売された。


2009年

ビートルズの全楽曲がリマスタリングされる。


10年代

2016年

ビートルズを支えたプロデューサー、ジョージ・マーティンが亡くなる


2017年

アルバム「Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band」デラックス・エディション版が発売


2018年

アルバム「The Beatles (White Album)」デラックス・エディション版が発売


2019年

アルバム「Abbey Road」デラックス・エディション版が発売



20年代

2021年

アルバム「Let it Be」デラックス・エディションが発売

約8時間にも及ぶ長編ドキュメンタリー「The Beatles: Get Back」が公開


2022年

10月28日、アルバム「Revolver」デラックス・エディション版が発売


まとめ

デビューから60年、解散から52年が経ってもまだ多くの人を虜にしているビートルズ。
この節目の機会に、ビートルズが成し遂げてきた数々の偉業を振り返ってみてはいかがでしょうか?

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