女性のコミュ力は高いのか?

結論から言えば「客観的」研究や分析では男性に比して女性は「話術」「問題解決能力」「人間関係構築能力」は劣る傾向にある事が判明している。が、これは多くの人間の直感に反する話だろう。女性は対人関係が上手く男性と比して問題を起こしにくく又打ち解けやすいように見える。実際「宿泊業,飲食サービス業」「生活関連サービス業,娯楽業」等の所謂接客業に従事する女性は男性に比して多い。

https://www.stat.go.jp/data/e-census/guide/basic/result/chart3.html

しかしながらそもそも誰も彼もが口にし、現代社会で最も重視されている能力と言っても過言ではない「コミュ力」とは1体如何なるものなのだろうか?また何をもって我々はコミュ力を測定し、高いだの低いだの言ってるのだろうか?そう言うと大抵の人間は「コミュ力とは空気や相手の気持ちを察して適切な言葉を交わしながら自身の目的を達成すること」みたいな事を口にするだろう。これは1見確かにコミュ力なるものを正確に定義してるように思われる。

だがここでジャイアンが人数合わせの為に野球嫌いなのび太をチームに加入させる話を想定してみよう。ジャイアンはそもそものび太が野球嫌いな事を知らない…知っていてもそれに関心を持ったりはしない。更に言えば言葉を交わしてのび太の気持ちを変化させ、自主的に野球チームに加入させるという発想すらない。ジャイアンは他者の気持ちが分からず、また口も上手くない…というより、そもそも他者の気持ちを察したり口を上手く使うみたいな発想すらない究極のコミュ障と言えるだろう。しかしそんなジャイアンは目的を容易く達成する。嫌がるのび太を捕まえて「俺の言う事が聞けないのか!?」と殴りつけ野球チームに加入させるのである。ジャイアンはその過程や手段がどうあれ目的は達成だ。

上記の話で分かるように実は目的を達成する事と他者の気持ちを察し言葉を上手く交わす事は結び付かない。この2つは全く別個の問題なのだ。実際にインターネットでコミュ障の代名詞となってる「陰キャ」は他者の気持ちを陽キャ以上に正確に把握してることが判明している。例えばイエール大学で行われた「この人間はこんな場面でどんな行動をとるか?」を予測する能力を測るテストを実施したら、なんと「孤独で自尊心が低い人や内向的な人間は他者の行動を読むのが上手い」という結果が出た。孤独で自尊心が低くて内向的=陰キャは友人多くて外交的で自尊心が高い=陽キャより、格段に他者の行動を正確に予測出来たというのだ。研究者曰く理由としては「単純に陰キャは陽キャと比して他者を観察してる時間が長い」「世界に対する期待値が低いので色々なバイアスの影響を受けにくい」「自分の内面に目を向けてるので自然と心の動きについての理解が深まる」ということである。

https://www.researchgate.net/publication/323784899_Social_Psychological_Skill_and_Its_Correlates

このようにコミュ力の定義を「他者の気持ちや空気を読める」してしまうと、コミュ力が低いほうがコミュ充とされ、コミュ力が高い方がコミュ障とされる捻じれ現象が生じてしまう可能性がある。というか実際に生じてしまってる。そしてこの現象から分かるように、実は我々がコミュ力と呼んでるものの実態は「権力」に極めて近い

例えば上記のジャイアンとのび太の話にしたって、客観的にはジャイアンの方がコミュ障だが作中ではのび太の方がコミュ障と扱われる。空気を読まず他者の…というかジャイアンの気持ちを察せずに機嫌を損ねて殴られ泣いてる馬鹿な奴。そういった扱いだ。換言すればこのコミュニケーションの問題点はジャイアンにはなく、上手くジャイアンの誘いを断れないのび太にこそあるというわけだ。勿論ジャイアンは目的は達成出来てるし、のび太を殴った事を責める人間もいないので自身のコミュニケーションについて反省する必要は生じない。

陰キャがコミュ障と扱われ、陽キャがコミュ充と扱われるのも多かれ少なかれ同じような理由だ。端的に言えば「王様は奴隷に横柄な態度をとっても非を責められる事はないが、奴隷は1挙手1投足にまで気を遣わねばならないし、少しでも非があれば容赦なく責められる」に尽きる。これはイジメ問題だと分かりやすいだろう。例えばクラスの高カースト生徒が大縄跳びで引っ掛かり「へへっさーせんw」と軽く謝っても特に問題になる事はない。だが虐められっ子が同じ事をしたらどうだろうか?間違いなく「ふざけんな!」「ちゃんと謝れ!」と指摘が飛び、休み時間には虐めっ子からソレ…空気を読まず他者に気を遣わないコミュ障仕草を理由に殴られる羽目になるだろう。このようにコミュ力は権力が低いものほど厳しく追及され、そしてコミュ障と断罪されるのだ。

という構造から分かるように女性がコミュ力が高く、男性がコミュ力が低いように見えるのは「性的権力格差」と「ジェンダーバイアス」の2点に尽きる。性的権力格差については尾道市の炎上が分かりやすいだろう。


尾道市が家庭支援として、育児経験のある夫婦に「配偶者に言われて嬉しかった言葉」「配偶者のこういう態度(言葉)が嫌だった」「配偶者にしてもらって嬉しかったこと」「配偶者にしてもらいたいこと」をアンケートし、それを発表したところ炎上した。理由は端的に言えば「女性に対する配慮が足りない」だ。当然男性側から「男性に対する配慮が足りない」などという批判は起きてない。なんでもNHKの特集によれば夫が嫌なこと1位は「わけも分からずイライラ」をあげられたが、それは配慮が足りず「当事者の気持ちに寄り添ってほしい」という母親の気持ちをくみ取りサポートしていく姿勢が自治体に求められているのに関わらず、母親に対して配慮を欠き又更なる配慮を促す文面を載せてしまったのが悪いという。また同特集で父親に対しては「夫は妻と共同で育児をする人であって、妻にお世話してもらう赤ちゃんじゃない」「出産育児に関しては、女性、母親への負担感が多く、産前から産後にかけてのかなりのところで女性側が一人で頑張らなければいけないということがある。この負担を、女性だけでなく男性も一緒にやっていくというメッセージが打ち出せていない。出産で体へのダメージもある女性に対して、同じだけ、あるいは、むしろそれ以上男性がやるのだというくらいのメッセージを示さなければならなかった」と容赦のない…仕事や育児で大変な父親への配慮のないとも換言出来る厳しい意見が掲載されている。

このように男性と女性では性的権力格差により、それぞれに接する時に要求される配慮・気遣い・態度…そういったものに天地ほどの違いが出ている。端的に言えば女性は現代日本においては相手に配慮を要求し、また気に障った相手の言動を指して「コミュ障」と断罪出来る権力者なのだ。現代日本において男性から女性に対する配慮不足が槍玉にあげられる事はあれど、女性から男性への配慮不足が問題になる事はない。現代日本において相手にコミュ力を要求出来るのが権力者…という事はマイクロアグレッション…自分では相手を差別したり、傷つけたりするつもりはないのに結果として相手を傷つけてしまうような言動や行動…の啓発ポスターが分かりやすい。

ポスターに男性、ブルカラー労働者、低学歴、オタク、チー牛等のマイクロどころじゃなくdisられる「馬鹿にしてもいい属性」は入ってない事に注目。

また女性がコミュ力あるように見えるのはジェンダーバイアス…端的に言えば「女性は女性であるというだけで好意的に見られる」バイアスもある。これは心理学的には「Women-are-wonderful effect」として研究されている。

Women-are-wonderful effect…女性は素晴らしいバイアスとは、1994年に心理学者Alice H. Eaglyによって発見された認知バイアスの1つだ。Alice H. Eaglyは数々の調査やアンケートを通じて「人々の女性に対する態度は男性に対する態度よりも肯定的であり、女性のステレオタイプの評価的な内容は男性のステレオタイプの評価的な内容よりも有利に働いてるように見える」事を発見し、そして「人々が男性よりも女性に肯定的な属性を関連付ける現象」としてWomen-are-wonderful effectという言葉を作った。というかここら辺はわざわざ説明するまでもなくバイアスの存在自体はみんな薄っすら自覚してる事だろう。

https://www.tandfonline.com/doi/abs/10.1080/14792779543000002

女性は女性であるというだけで男性に比してありとあらゆる物事を好意的に見られるが、当然にこれはコミュ力的なモノにも当てはまる。それを示唆するのがASDの研究だ。

ASDは男性の方が多く女性の方が少ないとされてきたが、2010年代に脳の状態を見ると女性のASDも結構多いことが示唆され始めた。この違いについて当時主流の説が「女性は共感性や社会性が高く、発達障害症状を有していてもソーシャルスキル(コミュ力)により目立ちにくい」だ。これは女性当事者のある種の自尊心を補填する説なのもあって多いに広まり、例えば日本でも未だにXでこの手の主張をする女性当事者や精神科医も少なくはない。しかしながら客観的な研究において、この説は2020年には完全に否定されている。

例えば5〜10歳のASD児童の男女を調査して自閉症傾向をはかるテストをさせた結果、性差として男性はジェスチャーが苦手な1方、女性は表情が読めない傾向があったがコミュ力総体は差があるか微妙だった。また更に男性は加齢に従ってコミュ力が女性の方が加齢してコミュ力が女性より上昇したり、症状が軽減する傾向すら示唆されてすらいる。この研究結果は多くの人間達の直感や上記の仮説に反するので争議となったが、全く別の研究にて現象の答え合わせが行われる事となった。

研究者はASDと健常者の間にあるわだかまりや抵抗感に関して「障害の事を知ってるか?ASDに対して正確な知識を持っているか?ASDに対して不正確な知識を持っているか?」によって、それが軽減するか調査した。要は「ASD及び当事者の事をよく理解すれば第1印象は良くなるはずだ」と考えたのである。そして研究者の予想通り「ASDの事を正確に知っているほど第1印象はよくなる」「当事者の症状が軽いほど第1印象はよくなる」という結果が出た。が、ここで研究者はある発見をしてしまう。それは定型発達者のASD当事者に対する第1印象を左右する最大要因は「性別」だというものだ。当然女性の方が好意的に見られ、男性の方が否定的に見られる。

また最近になってようやく日本でも「HSPとASDの区別をつけるのは非常に難しく…というか症状等に変わりなく、HSPを自称する(そもそも正式な診断名ではないので自称にならざるを得ない)人間の大半は未診断・無自覚のASDだと思われる」という事が指摘され始めたが、HSPを自称する方々の多くが女性であったのもそういう理由だろう。要は女性はASD症状が出ていても周囲に好意的に扱われるので、本人に自覚が芽生えにくく又それこそASD症状として「私はコミュ充だ!」という認知を抱いてしまうということだ。

要は女性がコミュ力高く見えるのは「女性の言動は女性は素晴らしいバイアスにより好意的に解釈されやすく、また性的権力により男性に配慮を要求する1方で自身は無配慮に振る舞っても許されるから」とまとめる事が出来るだろう。例えば性愛において男性は女性に対して必死にアプローチを行い、そして失敗したアプローチはネットに晒され「キモいコミュ障w」と笑い者にされている。こういう光景を見てると「男性は女性に比してスマートに性愛出来ない」と思いたくなるし実際にその通りなのだが、これはコミュ力云々ではなく単に「性愛では男性が積極的にアプローチする必要がある」からに他ならない。要は女性はコミュ障ムーブをしないというより、自分から能動的にコミュニケーションをとらず、その必要性もないのだ。

なので女性が能動的に性的アプローチをやろうとすると男性より遥かにキモいコミュ障ムーブをやらかす…という事が可視化されてるのが所謂「ホス狂」問題だ。彼女達は性風俗産業に通ってお気に入りのホストに莫大な金額を費やし、それを埋め合わせる為に売春や脱税といった犯罪にまで手を染める。男性の性風俗産業利用者でここまでキモいコミュ障ムーブ…というかもうそんな次元ではない違法行為に手を染める人間は極めて少ないのは言うまでも無い。繰り返して言うが女性は性愛等で痛いムーブをしないというより、自分から積極的に動く必要がないだけである。性愛は分かりやすい例であるが、同様の事は仕事…リスクのあるタスクや危険なタスクは男性が担当する…等にも当てはまる。女性が男性より社会的状況を読むのが上手く、また社交的にも見えるのは男女平等が進んだ先進国において女性は事実上リスクを負わず配慮され常に安全側で行動することが可能な為だ。

そしてもっと直接的に「では女性が性的権力やバイアスが通じない相手と回避出来ない責任を伴う能動的コミュニケーションをとるとどうなるか?」の答えが子殺しの男女比だ。

https://www.cfa.go.jp/councils/shingikai/gyakutai_boushi/hogojirei/19-houkoku/

そして児童虐待事件において検挙された犯人の男女比は性的権力とバイアスの存在を如実に物語っている。

https://www.moj.go.jp/content/001338447.pdf

ざっと検挙された犯人の7割が男性と子殺しの性比と綺麗に逆転だ。当然ながらこれは「男性の方が児童虐待をしやすい」という事ではない。何故なら子殺しに及ぶのは女性が7割だからだ。子殺しに及ぶ女性が普段は良き母として振る舞っているにも関わらず、何かの拍子に殺意の波動に襲われ子供をうっかり殺してしまったとは考えづらい。殺害に及ぶ前から虐待等は日常的にあったと考えるほうが自然であるし、実際に殺された児童はほぼ確で衰弱や傷跡が確認されている。つまりこの逆転現象は「女性は性的権力やバイアスにより児童虐待という営為においてすら男性より好意的に見られ、児童死亡という誤魔化しようがない事態になってはじめて表沙汰になる」という事に他ならない。更に言えば表沙汰になり刑事裁判になっても男性と比して執行猶予がつきやすく、その段階になっても尚女性の言動は好意的に見られるのである。

また「女性が性的権力やバイアスが通じない相手と回避出来ない責任を伴う能動的コミュニケーションをとるとどうなるか?」の別の答えの1つとして女性上司のパワハラ率が異様に高い事は有名だが、チームで働く際にも同様であることを示唆する研究もある。女性が職場で失礼な態度をとられたり悪口を言われたりする被害に関して、その加害者の分析を行ったところ3つの補完的な研究で女性は男性よりも他の女性からの被害を多く経験している事が判明した。しかも積極的に動く女性ほど他の女性から攻撃を受けやすく、更に幸福感やQOLを低下させたり離職を考えさすほど苛烈なものであるという。尚、男性に関して同様の事例は確認されていない。

https://psycnet.apa.org/doiLanding?doi=10.1037%2Fapl00002897

その他女性の話術や人間関係構築能力や問題解決能力等についてはこちらを参照

以上の事から分かる通り、女性は自分から能動的にコミュニケーションをとったり、回避不可能な責任が伴う場面では男性より著しく問題行動を起こしやすいということが言えるだろう。女性がコミュ力高く見えるのは性的権力と女性は素晴らしいバイアスに加え、自分から何か積極的に動く必要性に迫られない=失敗・失態を晒しにくいからなのである。

しかしながらここでこんな疑問を持つ方もいるだろう。「そうなるとそもそも女性って人間同士で交流というより社会に向いてないのでは?よくてお客様にしかなれないのでは?というか何だったら出来るんだ?」と。その答えをかつて様々な研究者が探したが、その大体はキャンセルされる羽目になった。それは太古から続く神話や慣習といった、現代ではミソジニーと見做される答えに辿りついてしまったからである。その答えとは

結論から言えば何もない

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