何故、女性はHSPを自称したがるのか?HSPと発達障害の関係について

最近、日本語インターネット圏で「HSP」という言葉を度々目にするようになった。このHSPとは「Highly sensitive person(滅茶苦茶感じやすい人間)」の略語であり、滅茶苦茶雑に言えば「感じやすく繊細なパーソナリティを有する人間」を指す1997年に心理学者エレイン・アロンによって造られた用語である。これはあくまで心理学上の概念であり正式な精神医学の言葉ではなく、DSMやICD等による定義ではない

このHSPに該当するか否かは、エイレンが作ったセルフテストによって確認出来るという。以下、筆者が和訳してみたテストを貼る。



1.強い感覚に圧倒されやすいか? 

2.環境の微妙さや名状しがたい事に気付きやすいか?

3.他人の気分がに影響されるか?

4.痛みに敏感か?

5.忙しい日々の間にベッド(パーソナルスペース)に籠る必要があるか?

6.カフェインに敏感か? 

7.明るい光、強いにおい、粗い布地、または近くのサイレンに敏感か? 

8.豊かで複雑な内面を有してるか? 

9.大きな音で不快になりやすいか? 

10.芸術や音楽に心を動かされやすいか?

11.神経系が時々意識して正さなければいけないほど混乱していると感じるか?

12.良心的か? 

13.簡単にびっくりするか?

14.短時間で出来る事が沢山あるとパニクるか?

15.人々が物理的な環境に不快である場合、それを快適にするために何が必要かを知っているか?

16.人々が1度に沢山の事をさせようとするのにイライラするか?

17.間違いをしたり、物事を忘れたりしないように努力しているか?

18.暴力的な映画やテレビ番組を避けようとしているか?

19.周囲で色々な事が起きるとソワソワと不快に興奮してしまうか?

20.空腹時に強い反応を示してしまうか?

21.人生の変化に揺さぶられやすいか?

22.繊細で上質な香り、味、音、芸術作品に気づき、楽しんでいるか?

23.1度にたくさんのことをするのは不快か?

24.動揺を回避するように人生を調整することを最優先事項にしているか?

25.大きな音や無秩序なシーンなど、激しい刺激に悩まされているか?

26.仕事をしている間に競争したり観察したりしなければならない場合、緊張したり不安定になったりして、他の場合よりも物事が上手く行きにくいか?

27.貴方が子供だった時、周囲の大人は貴方を敏感ないし恥ずかしがり屋と思っていたか?



このテストに14問以上当て嵌まるなら恐らくHSPである可能性が高いということである。
http://www.hsperson.com/pdf/JPSP_Aron_and_Aron_97_Sensitivity_vs_I_and_N.pdf


エイレンによれば女性ほど、このHSPを自称(正式な診断名ではないので自称にならざるを得ない)したがる傾向にあるらしい。正確に言えば、男性はこれらの特徴を「女性的」と見做して否定ないし隠す傾向があり、大っぴらには明かせず、また本人もそう自認出来ない側面がある。その為、男性においては例えセルフテストで低いスコアであったとしてもHSPに該当する可能性が高いそうである。


さて、このテストを見る限りHSPは大別して「易刺激性」かつ「感覚過敏」かつ「マルチタスクが苦手」という3つの特徴で表す事が出来ると考えて間違いないだろ。そして発達障害に詳しい人間ないし当事者は「易刺激性」と「感覚過敏」と「マルチタスクが苦手」という言葉でピンときたはずである。何故ならこれらはいずれも発達障害、特にASDの典型的症状とされているからだ。


ASDとは所謂アスペである。正確には国際的精神障害の基準であるDSM5において、現在「アスペルガー症候群」という言葉は使われておらず、他の自閉傾向を有する障害と共に「Autism Spectrum Disorder」と単1の診断名で再定義されている。

そのDSM5におけるASDの診断基準には


・感覚刺激に対する過敏さまたは鈍感さ,または環境の感覚的側面に対する並外れた興味(例:痛みや体温に無関心のように見える,特定の音,感覚に逆の反応をする,対象を過度に嗅いだり触れたりする,光または動きを見ることに熱中する)

とまんま「HSPの言い換えじゃね?」的な項目がある。

その為、発表当時からエイレンはHSP特性とASD特性の類似性に関する多くの質問や懸念を受けていた。エイレンはHSPとASDの違いについてFAQセクションを書き、こうした混乱の理由を説明した。
https://hsperson.com/faq/hs-or-asd/


エイレンは「HSPとASDはどちらも過剰な刺激に悩まされており、どちらも社会的活動から離れてパソコン部屋に滞在したり映画を見たりとお1人様になる傾向がある」としたうえで、次のような違いを述べている。

「ASDは情報を適切に処理出来ず、情報は常に全てあるかないかの2択である。1方でHSPは非常に慎重に情報を処理する。それが長続きして過刺激になる事があるが、極端な方法で固執したり、その瞬間のニーズに応じて他の刺激にシフト出来なくなったりする事はない。何よりも私達HSPは空気が読める」

「ASDは感情を調整する能力が殆どないか、全くない場合がある」

「ASDは常に知覚刺激を誤って処理する」

「HSPは情報をより徹底的に処理する為、観察からより多くの意味が得られる。1方でASDは常に間違った処理を行っており、世界から完全に遮断できない限り常に混乱している」

…等と説明したうえで、ざっくり「HSPは社会的状況で何が起こっているかを観察するのに1般的に優れている」「HSPは狭い関心事ではなく強い想像力と多様な興味を持っている」の2点でASDとHSPを区分出来るとした。


しかしながらASDが空気を読んで情報を処理している事は近年「Masking」や「Camouflaging」として指摘されている。これは雑に言えば「ASDが定型発達人間の思考回路をトレースし、社会的場面に応じて定型発達人間のような言動をする」という意味だ。これはASDの人間も場合によっては空気を読んで情報を慎重に解析して分析し、定型発達人間と同様?の振る舞いを模倣する事が可能である事を示している。しかしながら、当然にこの方法は定型発達人間より社会的情報処理が難しいASDにとっては「出来なくはないが過大な負担がかかる」営為であり、ストレス、不安、うつ病の増加につながる可能性があるとされている。またこの営為は女性ASD固有のものではないが、女性ASDに多いとされており女性ASDが診断漏れしやすい理由や女性ASDの自殺率が高い原因ともされている。
https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC5536256/

そして、この「Masking」や「Camouflaging」といった営為は奇しくもエイレンが主張する「HSPの情報処理」と完全に1致する


またASDは臨床的にも「ごっこ遊び等の想像力を働かせてロールを演じるのが苦手」とされているが、これは決してASDが関心が狭くて想像力が弱く興味の多様性が乏しい事を意味していない。例えば女性ASDの特徴として臨床の場では「腐女子になる」と言われているが、腐女子は私の観測する限り創作活動や妄想活動に盛んな事が多く「腐女子は関心が狭くて想像力が弱く興味の多様性が乏しい」と言う事は出来ないように感じている。

https://www.ncnp.go.jp/nimh/jidou/research/tebiki.pdf

結論から言えば、この議論はエイレンがHSPと診断した人間が後にASDだと発覚した事で完全に決着がついている。つまりHSPは提唱者でさえASDのそれと区別する事は難しく、またASDとは別にHSPなるパーソナリティが確かに存在したとしても、その表現型はASD症状としてあらわれるということだ。(1応HSP的な特性はASDと違い遺伝率が47%程度と低いっぽい?みたいな話もある。https://www.nature.com/articles/s41380-020-0783-8)


しかしながら、何故このような概念が未だに廃れず、また日本にも輸入されたか?という事を考えた場合、つまり「自分は障害だったりKYではないがソーシャルスキルに支障を抱えており、また社会的な場面で苦痛を感じたりする」という自認を持つ人間達の自称として、あまりに便利だったからだろう。

良いか悪いかは別としてHSPという概念は、ある種の生き辛さを抱えた人間に対して「共感性が高い」や「内面が豊か」や「芸術感受性が高い」という物語を与えるものだ。ある種の生き辛さをスティグマとして昇華させる。ある面で優れている自分が優れてるが故に周囲の無理解に苦しんでいる…このような物語は生き辛い人間に対して多大な自尊心を与えることが出来るだろう。だが1方で、そのような物語は障害を(優れた)個性として障害者を医療から遠ざけうるものにもなってしまう。


過去に似たような事例として「IQが30(20)以上離れてると会話が成立しない」という神話がある。この神話の元ネタは心理学者Leta HollingworthがIQの高い個人を対象に研究を行い「IQの高さはリーダーシップに役立つように見えるが、しかしIQの差が約30離れるとリーダーシップ形成が難しくなる」と述べた観察結果を、1987年に高IQ自助グループの会員であるGrady M. Towersが「The Outsiders」と呼ばれる記事でホリングワースの供述を引用し「IQが離れてる人間とはコミュニケーションが成立しない」と述べた事で、高IQグループの間に広まった。欧米では「いやIQの高低じゃなくて単純にコミュ力の問題では?実際に貴方のグループは自閉傾向を有してる人間が多いし…」と指摘され即座に鎮火したものの、何故か日本ではある種の俗説として定着した。因みに高IQや高学歴が「知的である」ないし「ソーシャルスキルに秀でてる」事を意味しないのはTwitterに無数にいるインテリ達によって完全に証明されていると言えるだろう。(また精神医学的にもASDの「高機能」と「低機能」という区分は廃止されようとしていたり、またDSM5やICD11において知的障害の診断基準からIQスコアは除外されていたりする)


誰だって自分が通常より劣っていたり、困難があると考えるのは辛い事だろう。しかしながら、こうした考えに安易に飛びついてしまっては自身の苦痛が何に由来するのか分からず、またそれを緩和する機会を逃してしまう事になりかねない。勿論、実際にそのような可能性もあるだろうが、やはり個人の精神的な苦痛に対して最も再現性や普遍性が確認されてるのが精神医学であり、確率論から言えばやはり自己診断/治療せずに標準治療を受けるのが1番期待値が高いのは間違いないだろう。勿論、強制するものではないし、実際にそのようなパーソナリティや現象がある可能性を否定するものではないが、やはり確率論だけで言えば…という話である。


最後にこの記事を書くにあたりASDに対する「内面が乏しい」「社会的情報を処理出来ない」「感受性が鈍い」等の差別され具合には泣きました。僕はIQ85でIQ上位2%のMENSA会員でASDでHSPです。

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