見出し画像

3 予想の要素 3-2 血統 私はアンチ血統派


1 先に結論

競馬はブラッドスポーツと言われています。馬主になりたい方々、牧場経営者や馬産地の方々、調教に関わる方々は血統を学ぶ価値があると思います。

競馬全体にとって血統はとても重要ですが、血統は予想の要素ではありません

この「ブラッドスポーツ」という言葉が元凶で、まるで予想の要素のように捉えてしまう人が多いようです。

普通に考えて、血統に詳しくなったら馬券が当たるようになるなんておかしな話だと思いませんか?

もしそうならば、血統の本を読み漁ったりネットで血統の歴史や情報を集めまくって研究した人が一番当たるはずです。ですが、実際は正反対です。

血統に詳しい人ほど馬券が当たらないのが現実です。特にエセ血統派(血統オタクの競馬ファン)は恐ろしいまでに馬券が当たりません。

競走馬は生き物ですから、ある程度の遺伝的な傾向があるのはわかります。ですが傾向をあてはめるような予想は考えることを放棄しているとしか思えません。形式的に傾向を当てはめるような予想よりも、実質的に、個別具体的に出走馬を検討する方が馬券が当たるのは当然の話です。

私は競馬歴31年目ですが、初心者時代からアンチ血統派でしたのでウソみたいに血統知識がありません。ディープ産駒もコントレイルくらいしかわかりませんし、好きなミホノブルボンやキタサンブラックの父や母の名前も曖昧です。

私の馬券はかなり当たる方だと思います。血統が予想には一切関係ないのだということを私自身が証明しています。

結論を先に書きます。

★血統は競馬の予想の検討すべき要素ではありません。

★血統派の予想屋やエセ血統派が恐ろしいまでに馬券が当たらないのは周知の事実です。

★明らかに血統よりも大事な検討すべき要素がたくさんあるので、血統メインに予想しても馬券が当たらないのは当然です。


画像は2022年のJRAのカレンダー。血統が好きな人が多いことを示していると思います。なぜそんなに馬のセックスのことが気になる人が多いのか私にはわかりません。昔の馬の画像なんか見てもつまらないのでこのカレンダーにはガッカリです。

2 血統で予想すると当たらなくなる理由

(1) 血統は屁理屈解釈のあてはめ論

競走馬は生き物ですので、遺伝的な特徴が出るのはわかりますし、血統によってある程度の傾向が出るのだろうということも理解出来ます。ですが、それ以上でもそれ以下でもなく、だからどうだと掘り下げても馬券が当たるようになるはずがありません

競馬場によってコースの特徴が違いますので、血統によって東京コースに向いているだとか阪神には不向きだとか、そういった傾向はありそうです。ですが、予想するレースは1回勝負ですので、そういった傾向で予想するよりも各馬を個別具体的に検討した方が馬券が当たるに決まってます

例えばNHKマイルヴィクトリアマイルは血統派の予想屋の説明によると、血統的な向き不向きがそれぞれ違うのだそうです。

どちらも東京芝マイル戦ですし、NHKマイルの翌週がヴィクトリアマイルです。3歳限定戦と牝馬限定戦の違いはありますが、それを早熟血統だとか何だかんだと屁理屈で説明されても・・・。

血統的にヴィクトリアマイルに不向きな馬が3歳時にNHKマイルを勝って、その馬が翌年のヴィクトリアマイルに出走した場合には、血統派はどう説明するのでしょう・・・。まぁよくわからない屁理屈を並べるだけでしょうけど。

私が言いたいのは、『血統的に東京芝マイル戦に向いている』という程度ならば、その傾向を参考にしても悪くはないと思いますが、同時期の同じコースなのに血統的な向き不向きが違うなんてことはもうその時点でおかしな話だとしか思えないということです。

結局、それぞれの過去のデータから好走馬の血統的な共通項を見つけて、それをパターン化してあてはめようとしているだけ短絡的・形式的思考回路です。それを血統の屁理屈解釈論で説明しているだけに過ぎません。

『このレースは〇〇産駒が強い』といった理由で、予想するレースの出走馬の中から〇〇産駒を選んでそのうちの1頭を本命にするなんてことはあまりにも杓子定規で形式的過ぎるのです。そんなやり方で馬券が当たるはずがありません。

また、テレビを見ていたら、武豊に『ドレフォン産駒の特徴を教えて下さい』と質問している人がいました。ドレフォン産駒なんかまだそんなに数もいませんし、2021年に新種牡馬デビューしたばかりなのですから、特徴もクソもまだわかるはずがありません。武豊も困った顔で『まだ数頭しか乗ってませんからねぇ・・・』と言ってました。

血統ばかり考える人達は、物事を普通に考えることすら出来ないのかと思ってしまいます。


(2) 形式的な思考回路 グループ化してあてはめるだけ

(1)と同じような内容です。

例えば調教師なんかが『この馬はパワー型なので今の荒れた馬場は合うと思います』とコメントすることがあります。

私は1つの情報として軽いプラス要素くらいには受け取りますが、それ以上何も考えません。

ですが、血統派は『母系に〇〇がいるからパワー型なんだよな~』とかクソどうでもいいエセ知識を持ち出したがります。

その馬のことを一番よく知っている調教師の先生が『パワー型だから今回はいい』と言ってるのですから、その理由なんかどうだっていいはずです。

血統派は、グループ化してあてはめるような短絡的形式的な思考ですので、すぐにパワー型、スピード型、スタミナ型などと分類したがります

しかも、『どちらかと言えばスピード型だ』『いやいやパワー型だろ』といった、この上なくどうでもいい議論が大好きです。そもそもどちらかわからないようならば分ける必要はありませんし、強引に理由を付けてグループ分けをして、それをあてはめて予想するなんてことは愚の骨頂だとしか思いません。

しかも、血統派はあたかもパワー型に向いた馬場ならスピード型がくるはずないとでも思っているかの論調の人ばかりです。

東京コース向きの血統の馬だと阪神コースでは来ないみたいな論調になることも非常に多いです。

それよりも、各出走馬について個別具体的に検討することが山ほどあるのに、といつも思います。

画像はダビスタ(たぶん)。エセ血統派はゲームが大好きゲームの世界と現実世界の区別がついていない人が多いです。





(3) 形式的な思考回路 ゲームから競馬を覚えた人達

50代半ば以下のエセ血統派はダビスタなんかのゲームで血統を覚えたクチばかりです。ゲームで競馬を覚えても別にいいのですが、問題はゲームの知識や感覚が現実の競馬にも通用すると思っている点です。

競馬以外にギャンブルをしない人も多いですので仕方がないことなのかも知れませんが、ゲームで得た知識や経験が現実世界で通用するはずがないのに、それがわからない人が多いようです。

どんなクソ法則に従って馬券を勝っても必ずいつかは当たりますので、ゲーム出身者が早い段階で馬券を当ててしまうと血統を信じてしまうのかも知れません。

『ダビスタはちゃんとした血統の知識が身に付くんだよ。ゲームの中だけの話じゃないんだよ』と熱弁する友人がいましたが、彼は馬券が当たらな過ぎて結局競馬をやらなくなってしまいました。

私はダビスタを否定しているワケではありませんし、ゲームの競馬の血統が間違っていると思っているワケでもありません。

血統なんかを予想の要素だと勘違いしているから馬券が当たらないのだと言いたいだけなのです。

例えば恋愛シミュレーションゲームや恋愛指導セミナーみたいなモノも、内容的には間違ってはいないだろうと思います。モテるためには第一印象が大事だとか、清潔感を出しましょうとか、自分の話ばかりせずに女性の話を聞きましょうだとか、まぁそういうことを教えるのだと思います。知らんけど。

1つ1つの内容は間違ってはいませんが、そういう問題ではないということです。つまり、恋愛シミュレーションゲームをやったり恋愛セミナーに参加したりするからダメなのです。だからモテないのだという話です。

つまり、ゲームの知識や机上の空論が現実世界に通用すると少しでも思っているからダメなのです。

血統なんかに興味を持つから馬券が当たらないのだということです。

現実の競馬はゲームのように何回もリセットしてやりなおせるようなモノではないのです。



(4) 形式的な思考回路 血統を学問のように捉えちゃう人達

競馬の入口がゲームだったか否かに関わらず、血統をまるで学問のように捉えてしまう人達も多いです。

血統を学問のように捉えてしまう人達は、基本的には真面目というか理屈っぽいというか頭を使うのが好きな人達で、オタク要素が強い人達でもあります。

実際に超高学歴の人もいれば、学歴コンプで自分の出身大学すら非公開にしている血統派の予想屋までいますので、賢いか否かは関係ないようです。ちなみに高学歴=地頭がいいとは思いません。

賢い人は、自分の考えたことが正しかったという経験が多い人生を歩んできたので、自分なりに研究して成果を出せば馬券が当たるようになると思っているのかも知れません。賢くない人は単に勘違いに拍車がかかって自分の間違いに気が付かないだけでしょう。知らんけど。

血統を学問のように捉えて深追いするのが楽しいと思える人は勝手にやってくれとしか思いませんが、法律学のように条文や判例、その元となる学者の通説などのようなしっかりとした基礎がありませんので、血統なんぞはいくら学んだところで予想に関しては何も得るモノはありません。

血統は結局はその人の勝手な解釈論に過ぎませんので、各人の思い込みや屁理屈を域を超えることはありません。

本来は、馬券が最も当たる人の血統解釈論が一番正しいということになるはずなのですが、当たらない人ばかりなので結局は早い者勝ち的な、メディアへの露出度が高い順というか、有名な血統派の予想屋の解釈が正しいように思われるのかも知れません。知らんけど。


『この一族は重賞を勝ちきれない血統なんです』と言った血統派がいました。予想するレースが重賞で出走馬の1頭がその血統でした。

『ですのでこの馬は2着3着はあってもアタマは無いと思います』とも言ってました。

私は2着3着があるなら勝ってもおかしくないとしか思わないのですが、それよりも『重賞を勝ちきれない血統』という発言が気になって気になって・・・。

その馬1頭がその重賞で勝った場合、一族の血統的な特徴が丸ごと消えてなくなるなんて、おかしな話だと思わないのでしょうか。

しかも他のメンバーが弱すぎたとか展開に恵まれたとか、血統とは関係ない理由でその馬が勝つことだってあるはずです。

つまり、最初から『重賞を勝ちきれない血統』なんてことは単なる屁理屈の言葉遊びに過ぎないということです。血統に限らず、勝ち馬が出ていないデータに該当する馬が勝ってしまえば、それ以降はそのデータは無意味になりますが、それはそのデータに何らかの意味があった可能性がありますので一族の特徴みたいな血統の話とは根本的に違います。

結局、学問のように捉えて研究したところで各人の屁理屈的解釈論にしかなり得ないことをこの発言が証明しているように思います。


(5) 血統の話は何しろ無駄

よく見かけるコメントを例に挙げます。

『この馬はディープ産駒らしく末脚がすごくキレます』

『この馬はディープ産駒にしては長くいい脚を使います』

つまり、ディープ産駒という言葉は要らないと思うのです。

ディープ産駒は末脚がキレるくらいは私も知っていますが、例外もあるのですからやっぱり最初からディープ産駒かどうかなんか気にしない方がいいとしか思えません。



わりと最近の血統派の発言です。

『この馬は父だけ見ると距離が持たないと思うでしょうけど、母系に〇〇(馬名)がいます。こっちの血が濃く出れば距離は持つかも知れません

予想するレースの出走馬のうちの1頭が、今回が初の距離で距離不安があったケースだったと思います。

おそらく父が短距離馬なのでしょう。でも母系の血統からは距離が持ってもおかしくないそうです。

この血統派の発言は根本的に変なのです。

レースで父の血が濃く出るか母系の〇〇の血が濃く出るかは発言した本人もわからないのですから、『この馬は距離が持つかは血統を見てもわかりません』と言ってるのと同じなのです。

せめてどちらの血が濃く出そうなのかを予想するならばわかりますが、どちらかわからないのですから予想にすらなっていないのです。

調教師が『この馬は折り合いに心配が無いから距離は持つと思います』とか言っているならばそれを信じればいいだけなのです。どう考えても血統知識は不要ですし、むしろ無駄なのです。血統派の上記発言は、一歩戻って一歩進んだだけで、最初から一歩も進んでいないのにそこで終わりになっているだけなのです。


他にもいくらでも例がありますが、全てこんな感じです。血統は無駄です。

長くなったので続きは別記事で。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?