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小津と成瀬、二番手女優の選び方

昭和30年代の日本映画黄金期の映画では、私は小津安二郎と成瀬巳喜男の作品が特に好きで、熱心に見ている方だと思います。

どちらも同じくらい人気、実力共にあったスター監督ですけれど、両者の違いを一番良く現していたのは二番手女優のキャスティングだと思うんです。

小津は三宅邦子をほとんどの作品で起用しています。
おでこが広くて、目と目の間が開いているので美人女優さんではないと思います。
華もありません。
だから主演作品は少ない女優さんですけれど、身長が比較的高くて姿勢が良く健康的なプロポーションをお持ちなので、聡明さと知性を感じる女優さんです。

小津作品は後世で言うところのホームドラマの原点となる作品作りで有名です。
監督ご本人も酒席で「俺は豆腐屋だから、豆腐しか作れないんだ」って力説していたそうです。

極端なカメラのローポジションと、変わらぬ市井の人々を描き続けた小津のスタンスには一貫したものがあります。
ただ、小津は第二次世界大戦中に徴兵されて戦地に赴いています。
山中貞雄のように若い才能を無駄に散らすことさえなかったものの、戦地でハリウッドの映画を内密でたくさん見て、「映画にはスターが必要だ」との信念を持ったようです。

小津のスター志向は戦後に始まったことではなく、戦前にも当時の大スター、田中絹代を起用したりしています。
けれども、戦後の小津は「私ほど大根、大根と言われ続けた女優はおりませんのよ」と自ら語った原節子を見出します。

小津作品に出るまでの原節子は、顔は申し分がないけれど演技力に問題があると言うのが世評でした。
たしかに、歌えない、踊れない、ピアノひとつ覚えようとしない、およそ女優の自覚があったのか謎な原節子は「顔だけ女優」と言われても仕方がないでしょう。

小津はまず原節子を起用した「紀子三部作」で、三宅邦子を兄嫁などの二番手の役にキャスティングして原節子とのバランスを取りました。
このふたりは当時の女性としては体格が良い方だったので、見た目も調和して、原節子のこぼれるような美貌を三宅邦子が上手に受け止めていて、名コンビだったと思います。

特に小津が唯一クレーン撮影をしたと話題の「麦秋」のラストの方での海岸での散策シーンはふたりの清廉な雰囲気が最大限に引き出されていて素晴らしいと思います。

対して、スタッフが色々とお膳立てをしても気に入らないことがあると「今日は中止」と撮影を中止してさっさと帰宅してしまい、ヤルセナキオのあだ名まで頂戴した成瀬巳喜男が二番手女優に好んでキャスティングしたのは中北千枝子です。

この人は姿勢も目つきも良くなくて、着物の着付けもだらしないことが多く、まったく華がない女優さんです。
それでも成瀬作品にはかならずいらっしゃるんです。
たとえば、日本映画史に残る名作「浮雲」では主人公富岡の妻を演じています。
出演シーンは少ないですが、濃厚な恋愛映画で圧倒的な美を誇る高峰秀子と貧相な中北千枝子の対峙は、美醜の格差が激しくて良くできたシーンだと思います。

成瀬映画での中北千枝子は、弱い女、ダメダメな女を演じていることが多いです。
その野良犬のような演技が作品に影を与え、深みを増す大切な存在だと思っています。

小津が陽だとすると成瀬は陰、ふたりの志向はそんな風に違いそれぞれが切磋琢磨していたと思うんです。
スター女優だけでは間が持ちませんから、二番手女優も当然必要です。
このふたりの監督ほど好みがあからさまな例はちょっと私は分かりません。

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