私と他者

今日という一日は
とても感情の忙しい一日で
レモンジンジャーのハンドクリームが
その全てを
よしとしてくれている気がする

最近思うのだけれど
こどもが素直で自由でっていうのは
たしかにそうなんだけど
ちょっと違う気もしていて
こどもでもおとなでも
自分が自分であり続けるためには
誤解を恐れずに言うのであれば
それを許す他者の存在が必要なんだと思う

いろんな大人がいるんだから
いろんなこどもがいて当然だよね

明と暗
静と動
陰と陽
白と黒
生き物とそれ以外

相反するものは同時に存在できない
じゃなくて
同時に存在するからこそ両方がある

グレーに白と黒がないのではなく
白も黒もあるからグレーがある
名前のない無数の色たちが
この景色を作っているんだろう

私たちが見ている世界はそれぞれ
自分で選び名前をつけた
いわば自分だけの色で彩られた
スーパーオリジナルの世界
それをあれこれ比較して
落ち込んだり喜んだり忙しい
自分が選ぶ色を変えれば
世界はあっという間に変わるのに
ていうか
世界はいつもそこにあって
色眼鏡で見ている自分がいるだけだ

そのものを知るために
それ以外を知る
他を知って自分を知るのは常なのに
こと自分らしさに関しては
比較を許さないのはなぜ?

自分らしさってなんだ?

ずっと思ってたけど
そういうことなんだなって腑に落ちた

相反するものは同時に存在できない
じゃなくて
同時に存在するからこそ両方がある

私が私であることに
他者との比較は意味ないんだけど
私が私であることを
許してくれる他者との共存があるから
私があり他がある

私と誰かは同時に存在できない
じゃなくて
同時に存在するからこそ両方がある

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