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どうして山に登るのだろう?

2020年はそれまで当たり前のようにできていたことが出来なくなった特別な年。大好きなアーティストのライブ、海外旅行、、などやりたいのに今年出来ていないことが幾つかあるが、そのなかの一つが山登りだった。

例年GWにその年の山開きと称して2,000メートル程度の山にその年初めて登り、そこから夏山シーズンが終わるまで、北アルプスや南アルプス、時にはヨーロッパアルプスまで足を伸ばし自然の中で自分を追い込みその後の絶景と澄んだ空気を堪能する楽しみを味わってきたが、今年はコロナ感染対策のため山小屋が営業しておらず、7月までは登る機会がなかった。

8月に入り、感染対策を徹底しながら営業を開始する山小屋も出てきて、このままどこにも登らずに夏を終えるのは残念過ぎる!と山好きな知人を誘い北八ヶ岳へ。

事前にコースプランニングをし、バスや山小屋の予約も済ませ、1週間の仕事を終えた金曜日の深夜に東京を出発、翌日朝6時に登山口に到着。前日に用意したおにぎりで朝食を済ませ、歩き始める。

鬱蒼とした苔の森を抜けて本格的な登山道が始まる。

今年は3月以降在宅勤務が続き通勤という無理やりな運動をすることもなく、また長い梅雨に入ってからはジョギングやウォーキングもさぼり、運動不足の自覚はあったがいつにも増して登りがきつい。バスであまり眠れなかったためか、急登の緊張感があるはずなのに眠くてしかたがない。八ヶ岳は苔が多くまた大中小の岩がゴロゴロする登山道が続くため、非常に集中力を必要とする。それなのに眠い。こんなことでは足を踏み外すのでは、と危機感があるのに眠気が覚めない。

何とか6時間弱の行程を乗り切り、その日の宿泊地黒百合ヒュッテに到着。予定では初日の昼頃にはヒュッテで昼食を済ませてから東天狗岳~西天狗岳に登ろうかとも考えていたが、その体力が残っておらず、昼食を済ませてすぐに部屋で仮眠。ちなみにこの時期はコロナ対策ということで、これまでだったら繁忙期には10人で寝ていたという個室を2人で使わせてもらったため非常に快適。仮眠をとっている間にかなりの大雨が降ったようで、4時頃目が覚めて外に出てみると通り過ぎた雨の跡がある。

外でコーヒーを淹れ一息。やっと目が覚めてきた感覚。

5時半には夕食をとり、その後は部屋で旅の相方と仕事の話や元同僚の話などをしながらゆっくり過ごし、8時頃には再度就寝。

翌朝は4時半起床。山小屋の朝は早い。階下のドアの開閉音で目が覚め、そのまま身支度し5時半には朝食。

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6時に東天狗岳に向かって出発。最小限の荷物だけを背負い快晴のなか歩き始める。大きな岩がゴロゴロと並ぶ急登。岩に白いペンキで〇印が書かれている目印を確認しながら道なき道(といっても正規の登山道)を進むが、岩稜帯を歩くこと自体が久しぶりということもあり、歩くコツがなかなかつかめない。通常街中では平らな面を靴で踏み歩くため、足のどの部分に体重をかけるなど意識せず歩けるが、岩から岩へ足を運ぶ場所では、踏んだ岩がぐらっと動いたり、岩が動かなくても自分がバランスを崩したりして、歩くのにスキルが要る。二足歩行に恐怖を感じ手をつこうと前のめりになると背中の荷物の重みもあって頭から落ちそうになりひやっとすることも多い。

踏み外さないよう慎重に足を進めること2時間半、やっと東天狗岳山頂へ。山頂から見る景色には、そこまでの苦労を一瞬忘れる達成感があるが、この日はすぐに雲が出てきてあたり一面真っ白に。少し待てば天気も変わるかと山頂でしばし休憩し、今来た急登を下り始める。山は登りより下りの方が慎重さを要する。登りは例え転んでも下まで転げ落ちるようなことにはなりにくいが、下りではそれが起こりうる。全身に普段使わない力が入り、余計に岩の上でのバランスがとれない。山の先輩の相方曰く、岩の表面が白くなっているところはみんなが踏んでいる場所だから、その場所に足を置いても岩が動くようなことはなく安全。そして登山靴はどこか一か所だけが岩と接する状態でも地面に対して水平になるように足を置けば体重を支えられるとのこと。これがすいすい出来るようになるには訓練を要する、、と思いながらもあの急峻な岩場を恐怖を感じず歩けるようになりたいと強く思った。

いったんヒュッテに戻り預けていた荷物をピックアップして下山開始。この時点で帰りのバスの時間まで標準コースタイムちょうどギリギリ、間に合うかどうか危ない。下山コースといっても登ったり下ったりの繰り返しで、どこも八ヶ岳名物の大小の岩が連なる見た目にはかっこいいが極めて歩きにくい登山道が延々と続く。途中の高見石小屋まで来て、その時点で14時発のバスには間に合わないと判断、そこから先は急がず安全第一で歩こうということに。

14時過ぎから雨が降るという天気予報だったのでそれまでには下山したかったが歩きにくい道が続きペースを上げることが出来ず、下山まであと1時間弱のところで雨が降り始める。レインウェアを身に着け歩みを進めるが、登山道がみるみるうちに泥の川と変わり、雷もなり始め恐怖を感じる。

雨のなか必死に歩き続け、予定をかなりオーバーして麦草ヒュッテに到着したら、ちょうど地元の茅野駅に向かうバスが止まっていて、それに乗ることが出来た。大雨に打たれバスも逃し散々な経験をした後に1日3便しかないバスに乗れた幸せ。

茅野駅にあった居酒屋で素早く夕食をとり、あずさ50号で新宿まで予定外の電車の旅。車中は二人で仕事の話や今度はオートキャンプをやろうか、など次の計画話に花が咲く。

それにしても今回の登山で感じたのが相方のありがたさ。彼女は以前勤めていた会社で上司だった女性で、学生のころ地元長野で山岳班に入っていた人、私より山のキャリアは長い。大人になってから山とは離れていたが昨年からまた山に登り始め、一人でも登っていると聞いたためお誘いし、今回の山旅が実現した。

彼女ひとりだったらもっと速いペースで歩くことが出来、帰りのバスにも間に合ったはずだが無理に私を急がせることもせず、常に私に前を歩かせ、いつも私の後ろにいてくれた。大きな岩が並ぶ場所では私のストックを預かってくれ(手を使って岩を超えるため)、私の方がザックが重かったので途中で荷物を交換しよう、と重いザックを背負ってくれ、何から何まで甘えてしまった。後ろから見守ってくれ続けた彼女には本当に感謝でいっぱい。

2日間の山旅を振り返ると、今回は体力不足もあり非常にきつかった。歩きにくい岩の道ばかり、土砂降りなどよく無事に帰ってきたなとも思うような過酷な道中だったが、それでも次はどの山に登ろうかと思う。

どうしてこんなにツライ体験を自ら望んでしに行くのだろう?

急登の先に絶景があるから?自然を体で感じる非日常に興奮するのか?これまで自分が出来なかった、出来そうになかったことを実現できた満足感を得たいため?

うまく表現できる言葉が見つかっていないが、毎回山に行く旅に、疲労困憊の帰りの道中、次に登りたい山のことを考えてしまう。それならそれで次に備えよう、特に下記の2点。

・普段から有酸素運動を中心に、体力をつける

・荷物を減らして身軽に歩く



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